こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1241回目のブログとなりました。
今日は個人的な呟きですので悪しからずです('◇')ゞ
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「普通」「ほどほど」「身の丈にあった」・・・
そんな表現は日常的に耳にしますよね。堅実で波風起たない安心安全な言葉たち。
普通の幸せ
ほどほどのお金
身の丈に合った生活
人間ってそもそも「生存の危機」を本能で避ける生き物です。
崖っぷちのような危険な物事に近寄ろうものなら、まるで磁力に引かれるようにジリジリと安全圏に戻ってしまうものです。
疲れている時、凹んでいる時など安全圏は安心をもたらしホッとするものです。だって「今ここ」の生活を護っていればそれなりに生きていけるのだから。でも波乱万丈な人生を経た人だってその有難さは身に染みていると思うのです。だからこそ安全圏に留まることを選択するのもある意味「正義」だと思うのです。
生存の危機を避けることが本能ならば、
敢えて自ら崖っぷちに立とうとする「人間の性」もあります。
もっと上に行きたい「向上心」
自分の能力を活かし切りたいと「挑戦」
未知の世界を歩きたい「冒険心」・・・まるで魂の雄叫びですね
とんがった夢や希望は妄想の内ならば誰も傷つかないもの、でもそれに向けて行動した途端傷つくことや孤独も洩れなくついてくるものです。今まで横にいた人がいつの間にか離れていく・・・場合によっては生命の危機レベルのダメージを受けることもあり得ます。出る杭は打たれるのが世の常ですから。
だからつい安全圏ににじり寄ってしまうものです。
でも古今東西、崖っぷちに向かおうとする人は一定数いるものです。
きっとその人達は貫きたい「何か」が在ると思うのです。有形無形関わらず・・・
出る杭の人は無意識に分かっているのかもしれません。
安全圏にいたら大切なものを貫くことはできないと・・・。思考も行動も安全圏のなかでは何もかも丸く小さく収まってしまうもの。それではどうにも自分の求めているものは掴めないと分かっている。
安全圏を出て崖っぷちに向かう時、恐らく抵抗や葛藤は相当なものでしょう。つい気を緩めたら安全圏に引き戻されてしまう。
これは個人の生き方で正解はありません。
最近知人友人の多くが敢えて崖っぷちに向かうことが多く・・・深堀した次第です。
身を護る安全圏に居ることも、魂の雄叫びに従うことも・・・どちらも人間の性。
どちらが優位になるのか・・・その都度の選択の積み重ねが表れるのかもしれませんね。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/