星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「ジャガイモのフライ」の思い出

今週のお題「いも」

      

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こんにちは、晏藤滉子です。

今日は久しぶりに今週のお題「いも」について。

 

ちょっと雰囲気を変えていってみましょう(^^)/



**********

 

私は食いしん坊だ。

というか、食に対して執着するタイプ。

 

元々、嫌いなものはないけれど

好きなものはトコトン追求する。

作る方も、食べる方も・・・それはグルメという訳ではなく

その時の季節のモノや、マイブームであったりする。

 

だから美食家では決してない。

都合のよい解釈をすれば、自分の味覚に忠実なだけ。

 

それは、子供の頃から変わらない。

 

高校生の時、はまったモノがあった。

それは「ジャガイモのフライ」。

 

茹でたジャガイモにフライ衣をつけて揚げたもの。

今でいうフライドポテトではない。

文字そのまんま「ジャガイモのフライ」。

 

当時、母が作ったものを絶賛したのだろう。

我が家は、父がとても気難しい人で外食とかはあり得なかった。

だから、母の手料理が私の味覚の全て。

 

「ジャガイモのフライ」に私は夢中になった。

 

高校生の当時は「お弁当生活」。

ありがたいことに母がお弁当を作ってくれていた。

 

私は感謝しているが、母だって面倒くさい時もあっただろう。

それは大人になって分かること。今ほど冷凍食品は充実していない時代のことだから尚更だ。

 

だからこそ、「ジャガイモのフライ」は、

母にとっての救世主だったかもしれない。

母は毎日のお弁当に「ジャガイモのフライ」をおかずの一品として入れるようになった。

 

毎日、「ジャガイモのフライ」(爆)

 

普通だったらウンザリするだろう。想像するだけで胸やけするかもしれない。

でも、高校生の私は嬉しかった。

 

だって大好きな「ジャガイモのフライ」。至福のお弁当タイムだ。

 

お弁当は友人と2、3人で食べていたが、不思議と気づかれることはない。

フライにしてしまえば、中身の素材は「正体不明」だから(^^)/

 

それが、2年近く続いただろうか・・・良く飽きずに、母は作り、私は食べたものだ。

 

*****

 

最近、ふと思い立ち久しぶりに「ジャガイモのフライ」を作ってみた。

 

高校生の時と違って、大人の特権「キンキンに冷えたビール」も一緒♪ 

 

揚げたての「ジャガイモのフライ」に塩をパラパラ・・・

あんなに食べ続けたのに・・・美味しさの感動は新鮮なまま。

 

行儀は悪いが、キッチンでつまみ食い。

 

「あの頃と一緒・・・」

 

でも、決定的な違いが一つだけあった。

それは、「美味しいけど、ダイエットの大敵だな」と自戒したこと。

 

糖質・油・ビールのトリプルキラー。

 

こんなことを考えるなんて・・・・私も年齢を重ねた証拠だなと感じた。



 

 

今日も読んで下さってありがとうございます! それではまた♪







レッテルが全てではない

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

 

今日は、自分への戒めも兼ねて、

「レッテル」について共有いたしましょう。

 

普段の生活において「レッテル」は溢れています。

「あの人はいい加減な人」「あの人は無口な人」「あの人は要領の良い人」

など、いい意味もあるし、「偏見じゃない?」と感じるものまで。

 

レッテルは、あくまでも貼った本人から見た、思い込みや想像です。

「きっとこうだろうな」の域は出ない程度のもの。悪意がないおふざけの場合

だってあるものです。学生時代に友達や先生に「あだ名」つけるのが上手い

子っていましたよね。

ある意味、その人の特徴を的確につくセンスがあるとも云えます。

 

そうは言っても、何気に貼られたレッテルが独り歩きする場合が巷では溢れています。

 

ただ、他者は親しみを込めたレッテルでも、本人は不本意と思う事があります。

 

自分が触れられたくないことは誰にでもあり、そこを突かれるようなレッテルは虐めになってしまう。

 

*********

 

このレッテル貼りは、自分にも向けられることがあります。

つまり、自分が自分にレッテルをはる。

 

自分で小さい枠の中に自分を閉じ込めようとする。

 

他者からのレッテルは、不本意であれば剥がす事が出来るものです。

物理的に距離を置く、離れることだって可能だから。

 

でも、自分に貼ったレッテルは、自分で剥がすのはなかなか厄介です。

 

剥がしたいのに剥がせない・・・矛盾の塊です。

生きてきた中で、他者と自分のレッテルが絡んで解けなくなってしまう。

 

「自分はどうせこういう人間だ」という、由来の分からぬレッテルを握りしめてしまうのはとても辛いものです。

 

「どうせ」なんて誰が決めたんでしょう?

「どうせ」という言葉がつくのなら絶対真実ではない筈。

 

「本当の自分」は自分自身を貶める表現をすることはありえませんから。

 

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実は最近、個人鑑定のやり取りの中こんなお話を聞きました。

 

「いろんな占術の鑑定してもらったけれど、貴方はこういうタイプと決めつけられる事が多くて、返事に困る時がある」

 

確かに、自分自身も「こういう傾向ありませんか」とお聞きすることはよくありますが、これもある意味レッテルかもしれない。

 

占術で浮き彫りになる「個性」は必ずしも全てではなくほんの一部。

いつの間にか、レッテル貼りしていたんだろうか・・・と自分を戒めました。

 

だって、私だって「貴方はこういう人」なんてレッテル貼られたら嫌だと思うから。

 

これは、自分の戒めとなりました。

星図や数字を正確に読み取る知識は勿論必要。

でも、それが全てではなく、目の前の依頼者が全てなのだ。

 

知識だけなら・・・これからの占術はAIに取って代わられてしまうだろう。

 

やはり、人生の謎解き、人生の踏ん張り時には、

人間しか分からない「心の機微」がきっとあると思うのです。

 

久しぶりに、原点に返る良いきっかけを貰ったような気がした次第です。




今日も読んで下さってありがとうございます! それではまた(^^)/