こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1014回目のブログとなりました(^^)
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買ったままにしてあるモノって誰でもありますよね。
一度も着ない服とか靴とか
一度も読まずに机の片隅に積読してある本とか・・・
ふとそれに気づいても、「こんな服買ったっけ?」と記憶も曖昧になっている
そんな「買っただけの物」って、少なからずありますよね('◇')ゞ
そもそも買った当時の「欲しかった理由」は、確かにある筈です。
当時の私とそのモノは同じ波長を持っていたのかもしれません。
こんなふわっとしたブラウスが欲しかった、口コミで心惹かれるフレーズが目に留まったなど・・・欲しかった理由は、確かにその時存在したのです。
でも・・・着ない・読まない・使わないモノが生まれてしまう。
衝動買いがその原因とは限りません。一目惚れで買ったものをずっと愛用することだってあるし、勿論考え抜いたとしても買ったままで終わってしまうこともある。
実際、「縁のあるモノ」と「縁のないモノ」が存在します。
それは「思考の欲」から買う事と、「本音の欲」から買う事の違いだと考えています。
「思考の欲」とは、思考が購買意欲を刺激します。
役に立つこともあるだろう、取りあえず持っておこう、値段も手頃・・・左脳的反応です。
「本音の欲」とは、素敵! 手に入れたい! 惚れ惚れしてしまう!
つまり理屈ではなく「欲しい!」の一択・・・右脳的反応です。
顕在意識の欲と潜在意識の欲とも言い換えられるものです。
「潜在意識の欲>顕在意識の欲」は周知のこと。「思考の欲」で選んだものは繋がるパワーが弱く「手に入れたけれど何だか興味が失せてしまった」になりがちです。
「思考の欲」で買ったものは、当時の自分と都合上繋がっていたものの、本音とは繋がっていない。だから自分の状態が時間と共に変化することで「気が変わった」となる訳です。
そうなると、思考の欲で買ったモノは用無しとなり、箪笥の肥やしや積読要員になってしまいます。本音で繋がっていないのだから尚更です。
だからといって、「思考の欲」でお財布を緩めた自分を責める必要はありません。単に本音とリンクしない買い物をしたという事実だけ。深刻になる必要もありません。
何故なら、当時は「欲しかった理由」が確かにそこにあり、それを実行に移しただけのこと。根っこには「自分のため」があると思うのです。無駄使いかもしれないけれど悪意ではありません。その時は必要だと思ったのですから。
買ったまま積んでおくことは「その気にならない」という本音を採用しているだけ。それもある意味自分に正直である証です。だから罪悪感で凹んだり、自分責めする必要はありませんのでご安心を。
そういうものなんだ・・・という理解だけで◎です(^^)/
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに♪