星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

ハレとケのお弁当

今週のお題「お弁当」

  

   

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿2109回目のブログとなりました

今回は今週のお題「お弁当」について、個人的な呟きですので悪しからずです('◇')ゞ

 

「ハレとケ」・・・非日常と日常の境界線がハッキリしているのが「お弁当の世界」だと思います。お花見とか運動会など‟ハレのお弁当”、それこそ朝3時起きで気合を入れたお弁当も良いのですが、個人的には毎日学校に持って行く‟ケのお弁当”に思い出が詰まっています。愛着ですね(^^)

 

ケのお弁当って「いつもの」安心感があるんですよね。作る人の性格もあるけれど、おかずやゴハンの配置も何となく決まっているし、色合いも茶色っぽくなる。友達のお弁当を何気にみても、卵の黄色とプチトマトの赤色そしてブロッコリーの緑が色合い要員になっている。ケのお弁当って茶色が正義なんですよね(^^♪

 

お弁当は家族間のコミュニケーションと云われます。

私がお弁当を持って行く側だった頃、作り手の母親の状態が露になるのもお弁当でした。私の母ってあまり感情を出さないタイプだから基本変化はそう見られない。でも玉子の焼き方とか、おかずの詰め方など・・・焦り(時間なかった?)怒り(口ごたえしたから?)の気配を感じることも。母親も人間ですからね

 

友人のお弁当はなかなか面白く、親子喧嘩の翌日なんて「尖ったお弁当」 茹で卵だけとかピーマン丸ごと焼いたのだけとか・・・お昼の時間の伝説のネタになったこともありました。どんな状態でも作ってくれるところに愛があったので、そこは‟笑いのネタ”となる訳です。

 

大人になって作る自分の為のお弁当、ふと母親と同じレイアウトで詰めていることに気づきます。教えられた訳でもないのに定番の副菜とかご飯の詰め方とか・・・だし巻き玉子なんてそっくりです。お弁当という原風景が刷り込まれているのでしょう。

 

やはり記憶に残っているのは‟ケのお弁当”だと思うのです。

慣れ親しんだ地味目のお弁当は懐かしく思うもの。それに定番だったお弁当箱っていつまでも捨てられないものかもしれません。実家には大昔の「101匹わんちゃん」のお弁当箱がまだ残っているのですから・・・

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。 それではまた(^^)/

 

 

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