星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

根拠のない「自信」と「不信」のはざ間で・・・

 

 

       f:id:yasura7165:20201202200516j:plain



 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

今日は最近気づいたことなど、自分への戒めなど・・・ほぼ独り言です。

そして、相変わらず抽象的ですので悪しからずです('◇')ゞ

 

***

 

「私は一体何を信じているのだろう」

自分に問いかけた時、ブルッと武者震いをしました。

 

「これをやりたい」「こうなったらいいな」など自分の夢に思いを馳せる時、

心は軽やかでアイデアは自由に飛び回るものです。

 

特に私は子供の頃から、慎重でビビリ。石橋を叩いて壊すタイプです。

でも何故だか「根拠のない自信や確証」で、物事を決めてしまう大胆な所もある。

今までの人生で大事な転機は、ほぼ「根拠のない自信」で突き進んできたのかもしれません。

 

危なっかしいけれど、(客観的に自分を眺めてみると)

「根拠のない自信」で突っ走っている時は、何だか活き活きしているし、生活にも張りがある・・・大変な状況でも随分楽しんでいるようです。

 

私にとって根拠のない自信とは、目に見えない確信をガッチリ握り締めているということ。誰も見えなくても、私だけに観える「未来の姿」を感じているのでしょう。観えるんだからそりゃ信じますよね(^^)

 

***

 

去年くらいでしょうか・・・ちょっと凹んでいた時期がありました。

自粛生活もあるし、体調のアップダウンもあるし、色んなタイミングが重なって迷路に入ってしまったようでした。当時の私は「根拠のない自信」とは遠いところにいたようです。それを忘れたわけではありません。でも霧の中にいるように「未来の笑顔」がどうにも見えない。不信感に満たされた自分こそがリアルだったのです。

 

迷路に嵌り込んでいた時、私の頭を占めていたのは「根拠のない不信」でした。

周囲のちょっとした雰囲気の変化も「私が悪いかも」「きっとこう思っているだろう」「誤解されたかも」などと、勝手に妄想してしまう。直接言われたわけでもなく、あくまでも想像の内で、勝手に凹んだりしてしまう。誰の言葉も裏を読んでしまう。めんどくさい自分自身を持て余すような毎日でした。

 

「根拠のない自信」や「根拠のない不信」は脳内劇場の一人芝居です。

どちらも、その時点では現実ではない。現実化していないもの、もしくは想像だけの可能性もあり得るものです。

 

根拠のない自信と不信・・・善悪という訳ではないと思います。

どちらも自分自身の一部分。ポジティブもネガティブも両方「自分」です。

 

「根拠のない自信」は、自分のハートで感じ、体感に影響を及ぼします。

右脳的、潜在意識的なもの。波動が軽くなったり心地良かったり、何気にご機嫌だったりするものです。

 

一方、「根拠のない不信」は思考の声、脳内でその声が響きます。

左脳的、顕在意識的なもの。「こう思ってるに違いない」「きっと非難しているだろう」などと、猜疑心満載の自分自身を生み出していく。

 

私自身、迷路から抜け出したキッカケは問いかけでした。

「私は一体何を信じていたの?」

 

根拠のない自信も不信も・・・目に見えないもの。

自分の心の目でのみ観えるものだと思うのです。

 

環境や状況や、あの人の態度が・・・ひき起こすものではなく、

「自分はどちらを観ているのか。観たいのか」

自分の心のベクトルの向きを変えるのは自分でしかない、ということに気づかせてくれました。

 

***

 

でも絶不調の時なんて、正直忘れてしまいます。

世の中が皆敵に見えてしまう・・・自分にダメ出しばかりする・・・やさぐれた心根の時は

不信という「思考の声」の独壇場ですから。

 

そんな時は、深呼吸して、お日様を浴びて、ゆっくりお昼寝して・・・

「私は何を信じているのだろう」それに答えるのは自分ですよね。



今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/