こんにちは、晏藤滉子です。
今日は「本との付き合い方」について共有いたしましょう。
本の読み方には結構個性が出るものです。
勿論本のジャンルや、何を目的にするかでも「本の読み方」は違ってきます。
本好きにとって「本」は、ある意味人格を持っている「個」。
“本の読み方”というよりは「本との付き合い方」なのかもしれません。
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私自身、子供の頃から本は好きでした。
でも、読み聞かせしてもらうのは嫌いという異色な子供。
まだ字が読めない幼少期、絵を観ているだけで、妄想だけで満足していたらしい。その時の記憶はあまりないものの、今でもその片鱗は残っています。
病院の待合とかで、お母さんが子供に絵本の読み聞かせをしている場面に遭遇する時があります。それをごく近くで何気に聴いていると、何だか集中出来ない、物語に入り込めない。お母さんはとても上手に読み聞かせしているにも関わらずです。
結局、「読んでいる人の思い込み」と「聞いている人の思い込み」が違うだけ
の話です。
朗読とは、詠み人の「物語の解釈」を含んでいます。淡々と読んでいても、聞いている側は何となく分かるもの。私の子供の頃・・・親や先生の朗読は、感情の誘導が感じられて違和感を感じていたのかもしれません。
子供であっても、「読書」には個性がでるのかもしれません。
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本のジャンルによっても違うでしょうが・・・普段、読み返すことはありますか?
私は小説とか、個人の楽しみで読む場合、その一回に集中します。
読み返すとしても、時間を空ける。
対して仕事に関連する、情報を得る為の読書はシツコイくらいに何回も読み倒します。
ある意味、癖のようなものかもしれませんが、
楽しみの読書は、右脳(体感覚)が、
身に付けるための読書は、左脳(思考)が支配しているのでしょう。
「本との付き合い方」は自分の好きなようにすればいい。
ずっとそう思っていました。正解はないのですから。
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今年に入り、「朗読」を学び始めました。
名文学の一部分10分くらいの文章を選択し、2か月間朗読し続ける講座です。
専門家の講師より、毎週課題のフィードバックを戴きつつ、ひたすら同じ文章を読んでいきます。
同じ文章をひたすら読むということ・・・これが、とても奥が深いのです。
毎日読む、課題の提出に合わせて読む・・・一週間でも30回近く読んでいる。
黙読ならば、感覚的に目で追うような読書ですが、朗読では通用しません。
文字を一言一句辿っていく
息継ぎのポイントを決める
場面をイメージする
感情や想いを解釈する
誰に聴かせる設定なのか・・・
10分間の文章を深読みし、試行錯誤しつつ読んでいく。
そのような「本との深い付き合い方」は、未経験であり新鮮でした。
そこまで深く繊細に、本と向き合う事はなかったと気づいたのです。
と同時に、自ら演出家、脚本家になったような気分になっている。
教科書に出てくる文豪と共に、ひとつの世界観を創っていくような・・・。
10分間の文章を、上から下から斜めから読み込むことで、こんな感覚になるなんて・・・言語化し難いとても不思議な感覚です。
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読み聞かせの嫌いな私が、朗読ゼミを受講する目標は全然違うところにありました。当初の目標は、特徴のある声質を、弱みではなく強みにしたかった、ということ。
それが、文章や行間とこんな深い繋がりを求めるなんて・・・全くの想定外。
文章を書くことに逃げ回っていた私が、ライティングゼミに没頭した去年の夏。そして、今年の朗読ゼミ・・・。
どうも私は、自分の弱みを克服しようとする時、決まってより大きな収穫を得ているのかもしれない。そして、いつも想定外のギフトです。
「苦手な場所には素敵な宝物が隠してある」・・・ですよね(^^)
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/