こんにちは、晏藤滉子です。
今日は抽象的なテーマですが、感覚で読んでいただけたらと思います。
とは言いながらも、日常ではありがちなこと。参考にしていただけたら有難いです(^^)
言語化する前の繊細な感情とは・・・
その感情とは、信じる、愛している、無償の愛・・・などです。
とても、相手への強い想い、繋がりを表すような「陽の言葉」ですよね。
言葉だけクローズアップしたら、何の非の打ちどころがない感情です。
ただ・・・こんな経験はありませんか?
周囲や家族がそう思っているのは分かっている。
でも、それを言葉に出して告げられると・・・重い、窮屈、圧を感じるということ。
家族から言われた瞬間、「信じている」という本来の意味と同時に
「貴方は裏切らないよね」とステレオのように聞こえてしまう。
言葉にした瞬間・・・陰と陽の意味を同時に受け取ってしまうのです。
受け取り側が健全な状態だったら、額面通り「信じている」と素直に受け取るのに、ダウナーになっていたり、調子が悪かったりすると途端に「期待を裏切らないよね」と解釈してしまう訳です。
その繊細な感情は、洗脳にも使われる
時として、陰と陽の意味を相手に突きつける感情表現。
それは洗脳に近い使われ方をする場合があります。
信じている、愛している、無償の愛・・・それらは、「思考、選択」を奪います。
信じているから、考えない
愛しているから、疑わない
これは無償の愛だから、見返りなんて求めちゃいけない
宗教やカリスマ性のあるリーダーに集まるところでは、当たり前のことかもしれません。
疑問をもったり、他の選択肢を選んだ途端、周囲からフルボッコにされてしまうものです。そんな風通しの悪い「密」な場所では、思考の暴走が起こりがちなものです。
言葉にする前の感情は取扱注意
信じる、愛している、無償の愛・・・本来は「在り方」です。
それだけに、それを言語化した途端、陳腐になってしまう事は歪めません。
「在り方」は言語化はできません。
その表現は人それぞれだし、自分でどうのこうのと主張するよりも、
その人の背中を見ていれば朧げに分かるものです。
「在り方」を言語化する場合注意が必要です。
それは与える側も、受け取る側もです。
「信じている」を自分を納得させるために使っていないか
相手に圧を与えていないか、管理するつもりでないのか…。
受け取る側も、「信じている」その根っこに何があるのか深堀する事は必要かもしれません。それが発言者側の問題であると解釈した場合、その言葉はスルーしてもよいこと。全部受け止めていては、次第に洗脳されてしまう。「○○しなくちゃいけない」と自責の念に囚われてしまいます。
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信じる、愛している、無償の愛・・・とても美しい感情です。
出来るならば、言語化せずに自身の胸の内で温めておきたい想いです。
「その想いを抱いている在り方」が美しいのかもしれません。
それだけに、その思いを掛ける相手ならば、言語化されなくともきっと分かる
はず。
子供であっても、普段会えない存在であっても、愛するペットであっても、
言語化されない繊細な感情は理解するものです。日本語には「行間を読み取
る」「思いを馳せる」「以心伝心」という言葉があります。
きっと、形にならない感情を伝えることや受け止めることができるものだと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/