星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「お年寄り道」を極めたい

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

   f:id:yasura7165:20200606201216j:plain

 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

明日は敬老の日ですね。

私自身、実の祖父母とは縁が薄く、会ったのは数回くらい。

その為か「敬老の日」はしっくりこなかったものです。

 

でも、同学年の友人が「孫ができたのよーーーー♡」と聞くと、

自分自身がお婆ちゃんになる年になっているんだと結構ショックを受けています。

 

女性は「年齢を感じること」には敏感ですからね(^-^)

 

今日は、タイムリーな「お年寄り道」について共有いたしましょう。

 

「お年寄り」とは誰もが迎える人生の季節

 

街や、交通機関などでお年寄りと出会う事があります。

個人的な思いですが、お年寄りには「今までの生き方が現れている」ということ。

 

ふとした佇まいや、表情、目の輝き、言葉の使い方・・・・・・。

そのお年寄りが、今までどんな経験をして、どこに住んで、どんな生活をしているのか、バックグラウンドなんて全く知らなくても「何となく」想像ができてしまうのです。

 

きっと以前は部下を叱り飛ばしていたんだろうな

毎日お嫁さんに嫌味を言っているんだろうな

お年寄り仲間とワイワイ楽しんでいるんだろうな

家族から愛されているんだろうな・・・・・・

 

どんどんイメージが膨らみます。

顔の表情、皺はとても雄弁なのです。怖いくらいにね。

 

「お年寄りの域」には誰でも向かっていきます。

ある意味、中年過ぎたらあっという間かもしれません。

 

「お年寄り枠」に入ってからは、一生を終えるまで。

赤ちゃん、子供、青少年・・・その中できっと一番長い期間が続いていく。

とても長いお付き合いになるのです。

 

自分の環境、社会の中で「お年寄り」というステッカーを付ける人生の季節とも言えます。




私が憧れる「お年寄り道」

 

私の個人的な願望ですが、「ほんわかとした、可愛いお婆ちゃんになりたい」

其処にちょこんと座っているいるだけで、ほのぼのするような佇まい。

憧れます。

 

実際お手本としているお年寄りが身近にいました。

雄弁でなくても、傍にいるだけで周囲がほっこりとするような存在感。

そして、孫に携帯やゲームの遊び方を教えもらい、それを楽しもうとする好奇心。「年だからわからない」で、他に丸投げするのではなく、見よう見まねで楽しもうとする好奇心。 「ありがとね♪」と誰にもフレンドリー。 

もう亡くなってしまったけれど、周囲からも愛され幸せそうな「お年寄り道」でした。

 

そんな見事な「お年寄り」って、顔の造作や、お化粧の有無ではなく目に力があって美しい・・・そんな共通項がみられます。

 

「お年寄り道」は既に始まっている

 

そんな素敵な「お年寄り道」で晩年を過ごしたい。

多くの人が願うと思います。

 

でも、素敵なお年寄りって、その年齢になって創られる「在り方」ではないと確信しています。だって、刻まれた皺の一つも年輪といえるもの。一朝一夕で叶うものではありません。

 

お手本のお年寄りリーダーは、若い頃からの積み重ねに違いない。

色んなこともあって、辛いことも嬉しいことも勿論あったでしょうが、

それらを全て自分の糧にしていく意識の持ち方。人生の足し算、引き算を絶妙な塩梅で昇華していく。

 

きっと、人生の積み重ねの集大成が「お年寄り道」だと思うのです。

 

だから、20代の人、40代の人も今の経験、その捉え方が何十年後の「自分のお年寄り道」を形成していく。

 

これは、誰も代わりはできないこと。

今もっている「物」「ステイタス」「家族」などは付属品に過ぎないことでしょう。

 

だからこそ年老いていくことは平等な自然の摂理。誰も抗えない摂理です。

 

私も若い頃は「お婆ちゃんになった自分」なんて想像できないものでした。

でも、若い頃の在り方が未来に繋がっているのは確かな事。

 

「今の自分磨き」は何十年後の自分を磨くことでもあるのです(^-^)



今日も読んで下さってありがとうございます。  それでは、また♪