星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

罪深き言葉「どうでもいい」

  

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿2120回目のブログとなりました。

 

今回は「どうでもいい」の功罪について共有いたしましょう。

 

「どっちでもいいよ」「どうでもいいよ」

微妙なニュアンスの違いはありますが、どちらも選択を周囲に委ねる言葉です。

 

私も(相当昔)空気読み過ぎる傾向があったので、よく使っていました。「みんなの意見に合わせるよ」と表向きは協調性のアピールですが、正直自分から決めて目立ちたくない、決める責任を負いたくないという下心もありました。考えたくないもあったかもしれませんね

 

でもね大人になって気づいたことですが、

「どうでもいい」を連発する関係性はあまり宜しくない方向に流れていくようです。

 

例えばデートでも休日のお昼でも、誰か一人が常に「どうでもいいよ」という態度ならば、それを丸投げされた方はモヤっとするものです。「本当にどうでもいいの?本当だね!」と心の中で呟いてしまう。というのは「どうでもいい」を連発する人って高い確率で小さなクレームをその場でぼやくものだから。

 

心当たりありませんかww

 

本心から「どちらでも大丈夫」の意図ならばそういう言葉を使う時もあるでしょう。でも「どうでもいい」を日常的に使う人って、コミュニケーションを放棄しているのと同じこと。「どうでもいい」と言いながら本心では「こういうのがいいな」と自分の意見を持っているものです。ただ単にそれを伝えるのが億劫なだけだったりするのでしょう。

 

勿論、自分の主張をごり押しするだけではコミュニケーションは成り立ちません。でも意見を伝えることなく「察してよ」ばかりでは、周囲は諦めの境地になり何事も蚊帳の外に・・・「聞いても無駄」という密かな員数外宣告です。

 

家族やパートナーとの関係性を大事にするならば、「どうでもいいよ」は必要最低限に。ランチのメニューなど迷ってしまうならば、方向性だけでもOKです。麺類がいいな・・・こってり系がいいな・・・それでもコミュニケーションに参加したことになるのですから(*^^)v

 

ゴリ押しでも、丸投げでもない・・・

程よい塩梅のコミュニケーションこそ‟大人のスキル”だと思うのです。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます! それではまた(^^)/

 

 

 

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