こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1525回目のブログとなりました。
傾聴・・・ひと昔前は心理学とかカウンセラー業界でしか通じない言葉でした。今では多くの人がその大切さを理解しているし、実際のコミュニケーションやビジネスに活用しています。
傾聴とは相手の話を注意深く聴くこと、話を引き出すこと、その延長線上にその人の本意を拾い出すことです。例えば友人から転職の相談を受けたとして・・・いきなりアドバイスや意見を伝えるのではなく、じっくり友人の話を聞いてみるというイメージです。
相手の話を注意深く聴くことで、その人の本意を探り出す。
傾聴がベースにあるセッションやカウンセリングは、「北風と太陽」の寓話でいえば太陽タイプです。相手が自ら話したくなるような状況をセッティングするのですから(^^♪
ここからは個人的な気づきなのですが・・・、
私はセッションをし始めた頃「相手の言葉や眼差し」にフォーカスを当てていました。そう・・・細心の注意とともに一言も洩らすまいと。でもね、そこに集中しているつもりでも、いつの間にか自分自身に湧き上がる想いや感情に引っ張られてしまうことが時々ありました。例えば友人の失恋話を聞いて「相手の理不尽さにムカつく!」「友人の脇の甘さにがっかりする」「その行動って人としてどうなのと責めてしまう」等々、友人の言葉にフォーカスしているにも関わらず、私の心の中ではあーだこーだと「ぼやく輩」がいるのです。
正直「私はこの仕事向いていないのでは・・・」と悩んだ時期がありました。
***
10年ほど前、友人の転職相談にのったことがありました。
そこで傾聴について・・・180度意識の転換を試みてみました。
それは相手の話を傾聴しつつ、自らの心の中の呟きも傾聴するということ。フォーカスは自分の心の中に湧き上がる想いや感覚に当てています。案の定心の中では「ぼやく輩」が存在する。どうやら友人の言葉がトリガーとなり私の勝手な思い込みや偏った価値観があぶり出されている様子。だからぼやいていたのでしょう。
そのぼやきに集中していると・・・正直気持ち悪く不快になってくる。
不快にさせるもの=自分にとって相応しくない思い込みなのでしょう。相応しくない思いならば大事に抱える必要もない。他の価値観や思い込みに変換すればいいだけのこと・・・
そこにたどり着いたのは良いのですが、その後どうしたら良いものか・・・内心慌てました。だって友人は相談をしているのですから、納得するような落としどころを探らなくてはいけないと、勝手に私は切羽詰まっていました。
そこで不思議なことが起こりました。
友人曰く「聞いて貰ってたらスッキリしたよ。話している内に思いついたことあるから考えてみるね」・・・そう、勝手に自己完結。自分で良い塩梅の落としどころに着地してくれていたのです。自分自身の力で勝手にです。
その後も傾聴の過程で私の内面で感情が沸き上がる時、同様の意識の変換を試みてみましたが何れも相手は無事自分で落としどころを掴んでくれる・・・どうも偶然ではないようです。
***
傾聴ってつい「相手の言葉」にフォーカスしがちなもの。
でも自分の内面にフォーカスすることで、傾聴の目的(相手の本音を引き出すこと)を果たすことも可能ということ。同時に自分の本音も引き出されるという恩恵にも授かれます。
この不思議な経験によって傾聴の奥深さと同時に可能性を感じた次第です。「目の前の人は自分を映す鏡のようなもの」・・・普遍的な見えない世界の法則なのでしょう。
私はやはりそういう法則が大好きです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/