こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1326回目のブログとなりました(^^♪
「願望」って子供から大人まで誰でも抱くものです。
きっと生まれて初めての願いは「愛されたい」。一生を通しての原点だと思うのです。でも成長するにつれて多種多様な「願望」が追加されてしまうものです。
モテたい、結婚したい
望む学校に進みたい、就職したい
旅行に行きたい、趣味三昧したい
カッコイイ車に乗りたい・・・もう挙げたらキリのないくらい。
たった一つの「愛されたい」だったのに、どんどん増えていく。人間は欲深くてそれによってテンションを上げていく術を学習しています。それが悪い訳ではありません、私自身も相当欲深ですし・・・('◇')ゞ
でも一つだけ問題があります。
それは願望が沢山あり過ぎて「たったひとつの本当の願い」が分からなくなってしまうこと。あれも欲しいこれも欲しいと目移りしていく中で自分の本心が見えなくなってしまう。身に覚えないでしょうか? 本心から目指しているものがあるにも関わらず、優先順位の低い願望でゆるーく満足してしまうこと。
それを繰り返すことによって「たったひとつの本当の願い」がボンヤリ曖昧になってしまうものです。そして次第に存在を忘れてしまうか、優先順位の低い願望を「本命」とはき違えて執着してしまう。余計本命が見えなくなってしまいますよね。
本命を見失うことで、生き方はカオスになるものです。
何故なら潜在領域では「本命の願い」がすり込まれている。そして潜在領域では願望に繋がるものを探し続け、サインを送り続けているものです。でも当の本人が本命の存在をないがしろにして浮気をしていたら・・・願望達成はドンドン遠くへ離れてしまうものです。「どうせ見失う程度の望みなんでしょう」という魂の落胆と共に・・・
「やりたいことが分からないんです」
よく聞く言葉ですが、それは単に本命を見失っているだけのこと。これは自分自身で見出すことでしか解決しないことです。
自分は何をしたいのか、何を大切に行きたいのか、決して譲れないものは何なのか・・・
具体的な職業や物事が直ぐ出てこなくても構いません。「こっちの方角」くらいの大雑把な方向性で充分です。
人の役に立ちたい
言葉を扱うことをしたい
自由でいたい
人間関係と同じように本命は一つに絞りましょう。それが難しくても・・・です。
それには自分の本心と向き合う頻度が必要です・・・その方向性を見失わない為に。願望達成の方法として宣言の紙を壁に貼るってよく聞きますが、それは「本命」を見失わないためのことです。
本命さえブレなければ「自分がわからない」という厄介な問題は避けられることでしょう。ただ・・・あくまでもそれが「本心」であった場合に限ります。親や周囲の期待に沿ったものならば・・・遅かれ早かれ「自分探しの旅」に再び出ることになるのでしょう。
たった一つの本命は、自分でしか見つけられないものですから。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/