こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿2083回目のブログとなりました(^^♪
本能的な負の感情を生む状況があります。
それは「大切なものを奪われること」
生きる為の食料やお金は勿論、愛情や時間など
奪われるものは有形無形です。
人は奪われることに過剰に反応するものです。
身を守る為に・・・
原始体験としては、
弟や妹が生まれ周囲の愛情が赤ちゃんに注がれる時なのかもしれません。
母の愛情を取り戻したい・・・「赤ちゃん返り」もそういう時に起こります。
自分の大切なものは奪われたくない。
勿論自分にとって大切なものは絶対奪われたくないもの。
でも・・・そうでないものに対しても反応してしまうのが人間です。
本音ではそう大切に思っていない・・・
でも奪われると思うと急に惜しくなる。意地になる。
それは、愛着から執着に変わる瞬間といえるでしょう。
もしかしたら、それを手放したら自由に開放的になれるかも・・・
でも意地や執着している場合、分からなくなってしまうものです。
もしかしたらそれを手放す為に、
「奪われるという現実」を起しているのかもしれません。
どちらにしても奪われることは苦痛を伴うものです。
決して喜ばしいものではありません。
そのような状況になった時、
それは自分にとって、どれだけ大切な存在なのか・・・自分に問いかけることが必須です。
自分の大切なものが奪われる時、大抵奪った相手を憎むもの。
その人を許すことが重要ではありません。大切なことは・・・苦痛を感じる程それを必要としていたのか否かということです。
意地とか執着とか抜きにして、本当に大切なものだと自覚したならば
拒むべき!取り戻しに行くべき!。かっこ悪いなんて気にしない、本気なんですから。
でも、もしも「そうでもない」ものを奪われているならば・・・意固地にならず、さっさと手放すことです。風通しをよくして、溜まった埃をはらって、スペースを空けてしまいましょう。
必要のないものに執着するほど・・・無駄な苦痛はない、虚しいものだと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/
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