星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

自分の為のジブンによる頑張りは尊い

           

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿2082回目のブログとなりました

今回は個人的な呟き備忘録なので悪しからずです。

 

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私は、頑張り過ぎてしまう子供だった。

頑張るということ・・・真面目だとか良い意味で捉えられがちだけど、

私の場合、面倒くさいことに「頑張る姿を観て欲しい」という邪な気持ちが根っこにあるんだ。「頑張ってるから見てー! 褒めてー!」と周囲にアプローチしているんだろう。でも周囲はそんな姿をそうそう見ているものじゃない。「ふーん、何かやってるな」くらいのものなんだ。

 

「私、頑張るね!」 という時は大抵その対象を端から好きではない。これがネックになるんだ。趣味でも勉強でも読書でも・・・これを頑張ってる私って素敵でしょう。健気に頑張る体でも心の中では「つまんない」と呟いている。当然頑張ることが苦行になってしまう。恐らく報われない、結果が出たとしても嬉しい訳ではないことだから。

 

子供の頃、何かにのめり込むような、夢中になる経験はなかったような気がする。

趣味にしても学びにしても、周囲のリアクションを通してしまうから。

 

私が夢中になる対象に出会ったのは「趣味」だった。

充分大人になると、それに関わる「お金」も自分で賄えばよいし、誰に許可を得る必要もない。時間だって夢中という快楽ホルモンの為ならばどうにでも頑張れる。

 

そう、ときめくような頑張りを初めて経験した。

 

仕事をしていてもウキウキしているし、気が乗らないお誘いならば「また今度ね♪」と躊躇なく交わせる。私にとって周囲の反応の為の頑張りはモノクロの世界、自分の為の頑張りはフルカラーなのだ。自分の為の頑張りは、報われるものだ。それも即「充足感」という形で返って来る。

 

私は、「頑張る」という言葉に気をつけるようになった。

それは頑張っているフリなのか

夢中に近づくための頑張りなのか

 

大人になると仕事や人間関係など、気が乗らないけれど「やらなくてはいけない」という状況下に度々遭遇するものだ。そうすると俄然「頑張り」は苦行・・・見当違いな頑張りになってしまう。でもそれを避けては、生きていけないだろう。生きていくことは清濁併せ呑むことだから。だからと言って苦行からスタートして意外な展開だってあるかもしれない、その逆も然り・・・人生なんて先は分からないものだから。

 

私が出来ることは、夢中になれる「自分の為の頑張り」を大切に護りたいということ。大袈裟だけど聖域化したいくらい、大切な心の拠り所だから。

 

自分の為の頑張りって・・・自分の尊厳を守ることなのかもしれない。

 

 

 

 

 

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