星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

自由ではない大人の強制研究

今週のお題「自由研究」

       

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1538回目のブログとなりました(^^♪

 

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「自由研究」というと、小学校時代の夏休みを思い出します。

正直・・・嫌いでした。自由と言うけれど、もれなくアウトプット(課題提出)が求められる。つまり先生や周囲から見た体裁が求められる訳で全然自由ではない。でもクラスに数人はブラボー!と賞賛したくなるほどの研究を遂げる人もいました。

 

同じ期間の夏休みなのに・・・こうも違うのか。課題に対する向き合い方が違うのは分かっている。いつも自分のテンションを下げる自由研究が苦手でした。

 

でもね、考えてみると夏休みの自由研究って

「大人の自由研究」の予行演習のようなものかもしません。

 

「大人の自由研究」っていうと特別な感じですが、誰もが抱えている生活上のもの。

自由研究とはいえ・・・小学生は「自由」と名付けられるけれど、大人の場合は「強制」です。

 

「大人の強制研究」とは、大人として生きていく上での多くの課題や問題にどう取り組んでいるのか半ば強制的に課題を投げかけられているようなもの。課題は一つではなく複数同時進行であり、アウトプット(課題提出)はその人の現実に反映させるもの。

 

家族関係の自由研究を経て、家族との信頼は掴めたのか

ビジネスの自由研究を経て、仕事の流儀を体得したのか

家を建てるという自由研究を経て、全てのハードルを超えることはできたのか

 

大人になると、自由研究が可愛く思える程ハードな強制研究が降って来るものです。多かれ少なかれですが誰も逃れることは出来ないでしょう。だから大人には「現実逃避」を衝動的に求める時があるのでしょう。

 

子供時代ならば提出ギリギリまでサボり最後にダッシュをかけることも可能です。そんな付け焼き刃では所詮‟それなりの研究”で終わってしまう。大人の強制研究でそれをやったら・・・人生の強制終了、アウト!

 

強制研究では結果ありきではなく、どれだけ真摯に向き合ったのか・・・取り組む姿勢だと思うのです。何処かにいる神様は悪戦苦闘するその姿をきっと観ている。

 

自由研究は強制研究の予行演習のようなもの。

子供だからと言って侮れないものだと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/