星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

大人の自由とチャンネル権

お題「自分が大人になったなぁ~!と感じた瞬間の出来事って?」

    

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1489回目のブログとなりました。

 

今日はお題「大人になったと感じた時」について共有いたしましょう。

 

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私は子供の頃から無駄に我慢強かったかもしれません。

父親は封建的で支配系の人でした。家の中では自らが法律であり家族が服従するのは当たり前・・・日々の生活においても背くことは許されない家風でした。

 

リビングに置かれたテレビのチャンネル権は(死語ですね)常に父が持っていました。

どれだけ学校で流行っている番組も観ることは叶わない。父親が好む野球や時代劇、NHKのドキュメンタリーなどを観るしかないのです。(自分の部屋に戻るという選択肢はありません)

 

心の声では「あーぁ、面白くも何ともない」・・・画面を無表情で見つめながら他の事を妄想している。子供ながら小一時間それが出来てしまうなんて・・・無駄に我慢強いと呆れてしまう。だからなのか・・・関心が全くない授業でも、先生の一言一句真剣に聞くフリして実際は上の空なんてしょっちゅうでしたから"(-""-)"

 

私が大人になったな・・・と感じたのは、

自分にとって面白くない番組をパスすることが出来た時。チャンネルを自分の意志で変えることが出来た時・・・進学で初めてのひとり暮らしをした時、小さなガッツポーズしたものです。

 

面白くないドラマは観なくていい。見たくないシーンは変えてしまえばいい。

無駄な我慢で時間を潰すよりも、どんどんサクサクと切り替えていく。

「うわー楽しい!」と大人の自由を感じたものです。

 

個人的に暴力シーンや(アクション映画は別として)、大声で喚くシーン、心理的に追い詰められるシーン、空腹でひもじい思いをしているシーンは内容が秀逸であっても正直見たくない。きっと誰もが「このシーンは苦手」ってものがあると思うのです。まるで潜在領域に沈んだ古傷が浮かび上がってくるような、トラウマのようなもの。

 

子供の頃ならば、「このシーンは嫌!」「やめて!」と主張することも出来なかった。

今ならば・・・自分の意志で、「やーめた!面白くない!」とサッサと帰ることが可能です。

 

でもね、子供の頃に「好きな番組を自由に見たい!」という願望も、それが叶ってしまうとどーでもいい状態に。好きな番組というよりも、自由を手に入れたいだけだったのでしょう。

 

結果的にテレビを殆ど見なくなっている「今ここ」・・・。

チャンネル権は私にとって自由の象徴、「大人の象徴」のひとつだったのでしょう。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。  それではまた(^^)/