星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

人生で損する「まやかしの好き」

お題「人生で損をしてしまったこと」

     

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1535回目のブログとなりました。

 

人生で損をしてしまったこと・・・つまり後悔していることですね。

私の場合、自分の「好き」とか「好奇心」を主張しなかったこと。

 

それは小さい頃から、「これが好き! 欲しい!」と言えなかったこと。

何ですかね・・・物心つく頃から何故か「好き」を主張出来なかったことだけは覚えています。

 

友達が駄々をこねて?好きなものを手に入れている姿を横目に「いいな」と羨ましくなる時もある。でもどうしても好きを主張できない子供時代でした。

 

思春期や大人になる頃、次第に「まやかしの好き」が「純正の好き」にとって代わることが多くなりました。「まやかしの好き」は見せかけの好き。ときめくことも夢中になる程それを好きでなかったりする。「まやかしの好き」は条件と紐づけされていることが殆どです。

 

意中の人が好きなことだから

流行りのもので皆欲しがっているから

それを好きと言えばカッコイイから

 

「まやかしの好き」と「純正の好き」の落差は本人にとっては雲泥の差。でもまやかしに主導権を握られた日常では感覚が鈍り、次第に「純正の好き」との境界線はぼんやり曖昧になるものです。

 

子供の頃ならば、「あ、これ違った。飽きちゃった」で済むことでしょう。大人になってそれに気づく時、仕事や家庭や人間関係に歪を生むことになってしまう。

 

だって選んだ決め手がまやかしだったのだから・・・

 

「まやかしの好き」はダミーなんだ・・・それに気づいたきっかけは「心底好きな趣味」に出会ったことでした。今までの人生であり得ないほどのストイックさでのめり込んだ時、至福といえる高揚感を感じました。結果的にそれが糸口となり「純正の好き」を選択の基準にする、「人に合わせる好き」はオマケのようなもの・・・ちゃんと区別することに落ち着きました。

 

人生の半分近く「まやかしの好き」に洗脳されていた私。それはそれで楽しかった時もあるけれど・・・正直夢中にはなれないものです。子供の頃から好きを追求していたならば違う人生だったかな?・・・人生損したのかもですが、残りの人生を「純正の好き」で満たせば良いだけのことですよね。

 

人生は短いし、これ以上無駄には出来ませんから(^^)/

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた♪