こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1536回目のブログとなりました(^^♪
「飽きる」ってあまり良いイメージないかもしれません。
移り気、飽き性、地に足が着いていない、フラフラしている、三日坊主など・・・現実を生きていく上では不安要素満載ですね。「飽きる人」にとって‟一途”や‟最後までやり遂げる”を強いるのは苦行でしかない。結果やっぱり飽きてしまうのが常なのかもしれません。
誤解を招くかもしれませんが、「飽きる人」はある意味自分に正直なのです。そして絶対的な「飽きる人」は存在しない。だって実際飽き続けているのですから。自分が追い続けられるものを常に探し求めているのですから。
これは詭弁と捉えられるでしょうが、実際「飽きる人」がコレという対象を見つけた時純粋に真摯に向き合うものです。飽き続けていたからこそ「コレ!」という感覚や対象を大切にする。それはまるで人が変わったかのように・・・です。
一方飽きることを受け入れない人達が多く存在します。
つまり飽きていることを認めたくない。認めたら‟今”を否定することになる。変わりたくない、不安、何だかんだ現状維持・・・結果見ないフリをしようとする。飽きることを受け入れない人は変化に対して懐疑的です。「何か悪い事の予兆かも」と。
こんなこと経験しませんか?
恋人といても以前ほど楽しくない。
仕事もそこそこ充実しているけど、最近惰性で仕事してるかも
同じテイストの洋服をつい選んで新鮮味がない
よくあることですが・・・それは飽きてきた証です。そもそも人間は飽きる生き物、マンネリ化の後には必ず飽きるという心的変化が訪れます。以前感じていた楽しさトキメキが色褪せてくる・・・飽きることは心のカラクリとして自然な成り行き、悪者ではありません。
人間は飽きることで、成長していく生き物です。
つまり「飽きる」というサインが見えたならば、次のステージに上がるタイミングということです。変化を自ら起していく・・・内的な意識も外的な環境も含めて次のステージに上がる備えが必要です。でもそこで大切なのは「自分はどうしたいのか」。飽きた上で気が乗らない状況に飛び込むことは本末転倒ですから・・・。例え結果的に現状維持となっても意識はリニューアルすることが大切です。
「飽きる人」は多少なりとも色々云われるものです。八歩美人では済まされないこともあるでしょう。だからこそ「飽きる」を体現することは、自分を貫く勇気をもつ人だと思うのです。
離れる人は離れるし、傍にいる人はそっと寄り添ってくれるもの。
これだけは譲れない大切な何かを護るために「飽きる勇気」は大切だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/