こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1526回目のブログとなりました。
今回はお題「面倒だけれどやってみると意外と楽しいこと」をテーマに共有いたしましょう。個人的な呟きですので悪しからずです('◇')ゞ
やってみると意外と楽しいこと・・・それは「みじん切り」
私の場合楽しいというよりも、ストレス解消のためにやっているのかもしれません
フードプロセッサーやチョッパーも持っています。
普段ハンバーグなど作る時は迷うことなく文明の利器を使っています。だって早いしラクだし・・・みじん切りは正直かったるいと感じてしまう。便利なものは何でも使う主義ですから。
でもね、みじん切りに救われる時があるのです。
仕事で失敗した、心無いひとことに傷つけられた、失恋した・・・やり場のない怒りや悲しみでどーにかなってしまいそう。そんな時って友人に愚痴ったり、暴飲暴食するのが常なのかもしれませんね。私も悔しくってヤケ酒したこと結構ありました"(-""-)"
でも感情を強制的に吐き出すことって、意外と後からジワジワ痛みがやってくるものです。罪悪感が刺激されるというか「まだまだ問題は終わってないよ~」と主張してくるように。
「みじん切り」がやり場のない感情から救ってくれると気づいたのは失恋の痛手でした。何故だか餃子を食べたくて作り出したのが切っ掛け・・・白菜・キャベツ・ニラ・ネギをひたすらみじん切りにする。当時はフードプロセッサーなんて一般家庭に普及していない頃、頼りはよく切れる包丁のみ。
細かく細かく・・・大きさも同じくらいに
集中してみじん切りしていると時間も飛んでしまう。気づけば大きいボール一杯の刻まれた野菜たち。どんだけ作るんだ・・・って話ですが、当時妙に気持ちがスッキリしたことを覚えています。
それは今から思うと・・・自分の破壊的な感情が、みじん切りによって視覚化されたのでしょう。形にならない感情を視覚化し・・・それをムシャムシャ食べて栄養にしてしまえ!
それから辛い時悲しい時には「みじん切りメイン」のメニューが登場します。ちょっとのみじん切りではなく山ほどのみじん切り(^^)/ 普段ならば面倒で手を付けたくないものですが、非常事態に陥ればみじん切りでなければならない時がある。
今朝新鮮な地野菜を沢山いただいたので「山形のだし」を今年初作りました。キュウリやナス、茗荷などの夏野菜をひたすら同じ大きさに切っていく。みじん切りよりももうちょっと大きくね(^^♪ 張り切って作り出したものの正直途中で音を上げそうになってしまいました。
でもみじん切りを面倒と感じたのなら・・・心の平和は保たれているという証なのでしょう。みじん切りは私の心のバロメーターなのかもしれません(*^^)v
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた♪