こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1286回目のブログとなりました(^^♪
今日のテーマは「内にあるものが外に映る」。
自らの内面との向き合い方が、リアルな関係性と繋がっているということです。
このテーマを深堀する時、「内」より「外」を観察する方が分かり易いと思います。自分の本音って案外掴みにくいもの、大抵「思考の声」という雑音で誤魔化されてしまうからです。
例えば身近な人と一緒に過ごす時、心地よくノビノビといられるならば、それは内面(内なる世界)でもリラックスできる平和な状態が保たれています。でも特定の友人や上司との関係で、どうもウマが合わない、見下されているような感じがする・・・後から思い出してもムカムカ鬱々してしまう場合もあると思うのです。
そのような時、つい相手を責めたり自分を責めたりする訳ですが・・・それはちょっと見当違いかもしれません。何故ならば、トラブルや問題が起きているのは両者の内側が外の現実世界に反映されているから。両者の抱えるテーマは違えど根っこは同じです。
例えば友人の言動から「上下関係」「管理」「忖度」を感じるならば・・・内的世界でも同じような状況に陥っているはずです。私は価値がない、目を離したらとんでもないことをするに違いない、蔑ろにされる存在だ・・・自己不信や無能感を密かに抱えている時現実にも反映され、そのような扱いをする人を引き寄せてしまうのです。その状態を変えたいのならば、内的世界に改革を起すこと。傷ついているジブンを救済することです。本音を引き出し、本当の望みを傾聴する。「本当の自分の声」こそが内なる世界の主張です。
傷ついた自分が癒された時現実は動き出します。相手が偶然転勤になったり、引っ越したり、相手の態度が何故だかどうでもよくなったり・・・物理的心理的に距離を置く流れになっていきます。
一方友人から観たら、自分の言動がどうにも神経を逆撫でするような場合もあり得ます。自分は無意識に友人の地雷を踏んでいるのでしょう。友人の内的世界をリアルに見ることは出来ません。推測するならば・・・「優越感」「大切なものを壊される」「コントロール」のようなキーワードが絡む地雷をもっているのかもしれません。ひた隠しにしている地雷を踏みまくっているのなら・・・当然闘いは外側の世界に反映されるものです。
重要なことは、お互いを何とかしようとしないこと。それぞれの内的な問題に介入しないことです。友人が暴言を放ったとしても、それはある意味相手の問題。どのように処理するのかはその人だけが決められること・・・問題解決するチャンスを奪わないことです。
内にあるものが外に映る・・・
結局内なる平和が大いなる平和に繋がるということでしょう。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/