こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿939日目となりました(^^)
今日のテーマは「聴く」ことの大切さを共有いたしましょう。
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相手の話を聞くという事は年齢関わらず日常的な行為です。
心理学の手法で「傾聴」というものがあります。相手の言葉に神経を集中してそこから相手の言葉の向こうにあるものや本心をくみ取るというものです。それは結構難しいものです。聞く方の自我がでてしまうから・・・。勿論それを生業にしている専門家ならば常に意識しているでしょう。でも友人や家族が「話したい」となる時、どうにも「自分」が出てきて邪魔をする。「私だったらこうする」「それはないな」と反応してしまうものです。
話したいという事は迷っているんだから・・・的確なアドバイスしなくちゃ。
そう思う人も多いでしょう。でも話したい人は絶対的に聴いて欲しいのです。
相手の意見やアドバイスは実際不要な場合が殆どです。不要というか・・・返って本人の心の整理の邪魔になってしまうものです。
何故そんなことになってしまうのか。
それは意見とかアドバイスは、その人なりの信念や思い込みが反映されているから。よく友人の相談に乗っていて、感情が高ぶり暴走してしまうということもその類です。一見それは情に厚いと思われそうですが・・・その人の抱えている思い込みと聞いた言葉が化学反応を起こしただけ。その人にとっての地雷を踏んでしまっただけです。当然「話したい人」は置いてきぼりになってしまうものです。
じゃあ、どうすればいいのか・・・
その答えはシンプルですが一番難しい。「全集中で聴くこと」一択です。
話したい人は聴いてもらいたいだけ。批判も同情もなく・・・言葉(自分)を受け止めて欲しい。上手く表現出来なくてもどかしくても、それは本心を表に出すための産みの苦しみに過ぎません。誰でが「本心を自らあぶり出すチカラ」を持っていると思うのです。
自分が本当に望んでいることは・・・自分でしか表現できません。
集中して話を聞いていると、相手の本心が見え隠れしてくるように思えます。
少し顔を出しては、引っ込めるの繰り返し・・・次第に本心の輪郭がハッキリしてくるものです。
でも聞く方は言葉を掛けたくてムズムズするかもしれません。親子だったりパートナー間だったら尚更です。
でも、ひたすら聴くという行為は、話したい人にとって安心安全な場でなくてはいけません。そうでなくては隠されていた本心は決して表に出てこないもの。しっかりと聴いて受け止める、シンプルなことだけれど一番大切なことです。
聴くということも覚悟が必要だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)