こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1112回目のブログとなりました(^^♪
今日は「煽る感情」について共有いたしましょう。
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生きることをを充実させる、豊かにする、満たしていく・・・
其処には自分だけの「好き」「喜び」「夢中になる」が少なからずある筈です。その時は努力ばかりで「キツイな」と感じたとしても、後から見たらそれは健気でキラキラした時代かもしれない。縁のある人間関係や職業というものは、一時離れても必ず其処へ戻ってくるものです。
「自分のやりたいことがわからない」そんな相談をよく耳にします。
でも相談事の殆どの場合、「本当の答え」を本人は薄々気づいているものです。
認めたくない、不安、周囲の目など本心を抑え込む‟蓋”はいくらでもあり、見ないふりしているだけ。特に子供の進路についてはそのようなパターンを多く見かけます。結局は自らその‟蓋”を外さない限り何も動かないのですけどね・・・。
ただ、ここで大切なことが在ります。
それは煽る感情に未来ををゆだねないことです。「煽る感情」と「本人の意志」は全く別物です。煽る感情は他者軸であり、意志は自分軸です。
親や周囲の煽り
社会常識からの煽り
流行りからの煽り
ニュースを見ていると、「みんなこう思うよね!」と煽るコメントをよく見かけます。多くの人が思っていても「全員」ではありません。煽る言葉は、ある意味熱く力強いものです。自分が迷っていたり不安定な時には、つい煽りに同調してしまう。いつの間にか本音と煽りが混じり合い、煽りに乗っ取られてしまうものです。
本音や意志は感情ではありません。
感情はあくまでもセンサーであり、心の琴線に触れる物事をクローズアップさせる役割に過ぎません。同じシーンでも、悲しむ人もいれば怒る人もいる。それはその人のセンサーの設定が違うだけのこと。自分が何者かを知る尺度にはなるものです。でも・・・自分の進むべき道を委ねるには全く役不足です。
人生の転換期に立った時、大事なのは「自分のハートが望む道」。それがすぐピンとこなくても焦ることはありません。自分の目の前に起こる出来事に向き合い堪能していれば必ずその道筋は表れてくるものです。そのタイムラグに耐えられず煽りの感情や声に流されてしまう時・・・人生において相当な遠回りになってしまうものです。
煽る感情とは貴方自身ではないのですから、ある意味無責任なものだと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/