星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「家族の密」と同一視について

 

 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

今この時期、人とのコミュニケーションは難しいですね。

 

ネットという便利な手段はあるものの、リアルな交流の記憶は

懐かしささえ感じてしまいます。

 

今日のテーマは人間関係における“同一視”について。

早速シェアいたしましょう。

 

「同一視」とは人間関係の思い込み

 

「同一視」という耳慣れない言葉。

実は子供の頃から密接に関わる心のカラクリです。

 

相手の思考や行動に対して、自分の思いを重ねること。

つまり、“単なる思い込み”なのですが。

 

例えば、

私が可愛げないから(と親が思っているだろうから)大切にされなかった

私が至らないから(と相手が思っているだろうから)、私は責められる

 

不本意な相手の言動が“自分の落ち度”からくるものと思い込むのです。

 

相手の視点に立って「不本意な現実」を納得し受け入れてしまうこと。

 

「だから、しょうがないこと。私がまいた種だもの」と諦めてしまうことが

特徴です。

 

実際相手の言動の真意は分からないものです。

そうだとしても「そんなことされる筋合いはない!」と自分を守ればいい。

 

でも、幼少期や思春期に「同一視」を黙って受け入れてしまう子って、

扱いやすい子ともいえるのです。人と戦わずに受け入れてしまうから。

 

本当は、友人や家族から“尊厳を踏みにじられること”あったとしても

「そうされるのは当たり前だもの」と思い込みの幻に服従してしまう。

そんな子供の頃の「経験からくる学習」は大人になっても続くものです。

 

大人の人間関係は「同一視」で溢れている

 

そもそも「同一視」とは思い込み。

友人同士でも職場の人間関係でもよくある事です。

 

多少心の摩擦はあったとしても、現代の人間関係自体は希薄になりがちだから

“気の合う人を探せばよい”程度の方も多いと思います。

 

そうは言っても、パートナーや家族の関係は「密」であることは普遍です。

 

DVやモラハラなどは典型的な例かもしれません。

「私が至らないから」と加害者と被害者の視線が同じになってしまう。

 

虐めだって等しくです。

「どうせ虐められてもしようがない」と同一視の罠にハマってしまう事が多いのです。

 

「密」な関係性だから、人には言えない、SOSが出せない

逃げられない関係・・・同一視の影響は多かれ少なかれ絡んでいるのです。

 

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「同一視」とは幻です。

相手の思っている事は把握出来るものではないから。

 

ただ「私はそうされても仕方のない人間なんだ」がもたらすものは

無力感と生きるエネルギーが枯渇すること。

 

意思疎通で向き合う事や自己主張など、自分のエネルギーが充ちていないと

“単なる喧嘩”になってしまいます。

 

今の自粛期間、家族や身近な人間関係の交流は生活する上で大きな比重。

同時に家族間や職場の中でトラブルが起きやすくなっているようです。

 

苛立ったあり、トゲのある言葉を言われたり・・・皆疲れていますものね。

 

だから、「こう思っているだろう」という同一視の幻から

一歩抜け出る必要性はあると思うのです。

 

いきなりは無理でも、「これは悲しかった。」「怒れた」と自分の本当の感情を一言伝える勇気。時には相手の感情を聞くこと。メモでも良いのです。

 

受け止めることは出来なくても「感情を話す。聞く。」のみでも、

この時期のコミュニケーションは活性化するはずです。

 

人との繋がりが問題となる自粛生活。

その流れに逆行するように「家族の密」は色濃くなっていく。

 

どう過ごすか、どんな関係を築くのか・・・

「家族の密」もしくは「自分との密」は暫く続きそうですね。



今日も読んで下さってありがとうございます。ご参考までに(^^)