星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「尽くす」は人間関係の力学ではアンバランス

   

 

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1097回目のブログとなりました。

今日は「人間関係の力学」について、気づいたことなど共有いたしましょう。

 

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人間関係を考える時、「人間の境界線」というものは必ず存在します。境界線の線の太さや、壁の高さなどタイプは人それぞれです。なぜなら一心同体ということはあり得ないからです。同じ「好き」を感じても強さや方向性は違うもの。感性、価値観など全く同じということはあり得ません。だから人間関係のすれ違いやトラブルなど日常茶飯事なのも当然です。

 

特に、近い関係性の人(家族、友人、パートナー)に対して尽くしたい、役に立ちたいと思うのは人間の性かもしれません。子供の頃から人の役に立とうと頑張る人、困った友人がいたら相談に乗ったり、世話を焼いたり・・・面倒見がいいとされる人。周囲から信頼され、そして頼りにされる人です。

 

「とても良い人」です。

 

でも、そのまま良い人で突っ走っていたら、もしかしたら心が枯渇してしまうことも考えられます。本来人間の境界線は、自分の領土と相手の領土のボーダーライン。国交で考えると、お互いの国には独自の文化、習慣、産業が成り立つ自治の国。でも対する国にふんだんに援助を続け、融資を重ね、相手の有利になるような条件で物事を回していく。それは対等な国交とはいえません。与えるばかりでそれが当たり前になった時・・・与える側は負担と感じることもあるかもしれません。「役に立ちたい」で始まったならば、不満を密かに感じることに自責することもあり得ます。人間関係でも経済でも与えると受け取るの循環がなければ関係は次第に歪んでしまうものです。

 

そしてもう一つ。

 

何か役に立ちたい、助けたい・・・と思う時、同時に孤独感が生まれます。役に立ちたいという思いの中には「私はあなたたちとは同化しない」という思いも含まれているから。どうしても斜め上からの視線になってしまっているのです。その根底には「あなたたちは自分で解決できないでしょう。私が必要でしょう」というエネルギーを発してしまいがちだから。それを言葉で伝えなくても相手は気づいていることは多い筈です。学生時代の部活でも「監督の言うことを聞いていればいい」のか「一緒に何とか勝ち抜いていこう」では集団の雰囲気は真逆なものとなります。

 

役に立ちたい、尽くしたい・・・一見美しい言葉ですが、人間関係の力学においては一方通行に過ぎません。それは相手の意志と尊厳を無視しているからです。

 

次第にちぐはぐし始めた時、「今までしてきたことは何だったのか」と猛烈な孤独感に襲われてしまうこともあり得るでしょう。一心同体になっていた幻から覚める時、それは結構辛いものだと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 どうぞご参考までに(^^)/