こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1077回目のブログとなりました。
今回は久しぶりに「友人との境界線問題」について共有いたしましょう。
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「悩みを打ち明けて相談してくれなかった・・・友達だと思っていたのにみずくさい」
最近そんな言葉を聞きました。彼女は友人だと思っていた女性が悩んでいたことを他の友達から聞いたらしい。内心「みずくさい」と不満に思っているようです。
正直・・・よくある話かもしれません。
学生時代でも大人になっても、友人との境界線は問題が多発するものです。自分と他者が存在する限り「境界線」は存在します。リアルな世界地図だってちゃんと国境は仕切られています。それは人間だって同じこと。
人間関係でも親子やパートナーそして友達など、国境が密なほどトラブルが多発します。一歩間違えば危険地帯になりかねない。だからこそ家族やパートナーとのトラブルは結構ヘビーなものになってしまいがち。そこで微妙な立ち位置なのが友人との関係性です。ちょっとしたボタンの掛け違いで苛立ったり寂しくなったり・・・でも踏み込めない部分も友達関係ではあるものです。青春ドラマなどのように100%お互いをさらけ出すような友人との出会いは憧れるものですが、それは狙って見つかるものではありません。相互理解はある意味経験を積み重ねることです。歩み寄ってぶつかって、それでも相手を知りたいと思うならば「相性」だって不可欠です。
真の友達とは「いつの間にか横にいてくれる人」なのかもしれません。
「相談してくれないなんて、みずくさい」と思った彼女の内心では、友達ならばすべてを知っているべきという概念があったのでしょう。でも悩みを抱えていた友人の本意はまた別のところにあるのかもしれません。
今の時代誰もが多様な関係性の中で色んな顔をもっています。
家庭の中でいる時、職場にいる時、幼馴染といる時、同僚といる時・・・自分は確かにひとりだけれど、その仲間内では全く違った評価だったりする。別に偽っている訳ではありません。ただ、その場の空気観というか関係性において相応しい立ち位置を無意識にとっていることがあるのです。
この人の前では頼れる存在でいたい
このグループの中でムードメーカーでありたい・・・みたいに。
良くも悪くも自分の役割を設定してしまう。
冒頭のように「相談されなかった=友達ではなかった」ではなく「友達でいたいから=相談したくなかった」という構図も可能性のひとつとして考えられるのです。つまり当時の二人関係性においては、相談しないことが友人の証でもあるのです。
そのご友人の気持ちは推測の域を出るものではありません。
相手の求める自分でいたい、単純に悩みを相手に知られたくない場合だってあるはずです。嘘や偽りで自分を盛ることは友情を壊すことに繋がりますが、本音で「言いたくないから言わない」は友情を守るための場合もあると思うのです。
そうは言っても、本音を伝えるタイミングは確かにあります。それは自分の尊厳が守れないと感じた時。躊躇する必要は全くありません。自分を脅かす、相手を委縮させるものならば、もはや友情とは程遠い関係になっているからです。
友人関係の境界線問題は、人を強くもするし弱くもする。
ただ力関係ではなく、相互理解こそ必須だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/