こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿2243回目のブログとなりました
「許すこと」って・・・
生き辛さからの脱出法としてダントツだと確信しています。
生き辛いと感じる時とは、「べき」「ねば」で本心を押し殺しているもの。
自分に嘘をついている時に感じるものです。
世の中の壮大な思い込みから、如何に自分はハズレているのか・・・
それを感じる時、静かに自分の本心を黙らせます。
だって本心を知ったら軽蔑される、嫌われる、人は離れていくと思っているから。
それも勝手な思い込みといえますが。
料理なんて嫌い
子供のこと好きになれない
パートナーとの時間は息が詰まる
母だったら、恋人だったら、友達だったら・・・立場による思い込みは厄介なものです。
道徳めいた正論が自分の本音を押しつぶすから。「でも嫌いなんだもの!」が本音なのにも関わらず・・・正直苦しいですよね。
それは自分を否定し責めていることです。
「そんな私は最低な人間だ」と強制的にレッテルを貼っている。
そんな人に言えない思いを抱えているならば・・・「許す」ことです。
対象となる相手を受け入れることではなく、そんな最低の自分を許すこと。
肯定をしなくても許すことです。
それは言動として外に出さなくても良いと思うのです。
ただ自分が抱えている「もう一人の自分」が存在することを自覚するのみです。
こんな真っ黒な私がいる
こんな冷酷な私がいる
それだけを認めてあげる。説教も慰めもいりません。
これは感情を吐き出すためにノートに書くと良いでしょう。
罵詈雑言絞り出した後に・・・その真っ黒な私がいることを認めるだけ
あくまでも自分の内側でのお努めです。
するとね、次第に少しずつ心持ちが変わるものです。
いつもの大嫌いな家事や仕事やパートナーのこと・・・
「心底嫌いなのに、私ってよくやっているわ」と労ったり、
「我慢できないほど嫌いだから、何とか頼めない?」と周囲にSOSを出すコツが掴めたりするものです。もしくは距離を置く為のアイデアが湧いてくる。
それこそ、許された自分の一部からの恩恵です。
ひたすら隠されて、自分自身からも卑下されていたのに「許された」という事実。
ある意味恩返しが巡ってきたといえるでしょう。
自分の一部を押し殺している内は、
これでもかという程その存在をアピールするものです。
「私を観て! 忘れないで!」と叫んでいる。
その存在を認めることこそ「許し」だと思うのです。
今日も読んでいただいてありがとうございます。 それではまた
日々の星読み活動のメニューはこちらから