こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1238回目のブログとなりました。
今日は「自分の居場所について」共有いたしましょう。
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「今いる場所」がどうにも合わないということありませんか。
場の雰囲気、人間関係など・・・要は気が許せない、苦痛を感じるような場所です。
苦しかったら離れればよい・・・。
逃げるのではなく物理的に距離を置くこと、それが一番の解決法なのでしょう。
家族との軋轢、虐め、理不尽な仕事、馴染めない人間関係・・・
誰でも多かれ少なかれ身に覚えある筈です。
そうは言っても、簡単に離れられるなら苦労しない! それが出来ないから大変なんだ! という声が聞こえてきそう・・・。
でも結論から先にいうと、
「離れる離れないは結果に過ぎない。ただその選択の奥にある本音を無視しないこと」
同じパターンを繰り返してしまう時の大切な深堀です。
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誰でも、辛い経験をする場所からは逃れたい、離れたくなるものです。
それを敢えてしないのは、それだけ強い「思い込み」を心の中に抱えているからです。
それは三つに分かれます。
・その環境や場所に執着を持っている。
・その場所に留まることで「本当の自分」を表に出さないように自分を縛っている。
・その場所で不幸になっている「私の姿」を、「あの人」に見せつけたい。
執着が原因の場合、職種や学校など・・・本人にとって「憧れ」「ステイタス」の場所かもしれません。もしくは周囲から設定されたルート上にある環境ということもよくある事。本人がそこにいて幸せというよりも、其処に居なければ私には価値がない、周囲から認められないと感じているのでしょう。
本当の自分を出したくないことが原因の場合、そもそも「本当の自分」を出せない場所は息苦しく辛いものです。ただ「本音を出したら嫌われる、人は離れていく」と自分に暗示を掛けていたとしたら・・・苦しくなる場所から敢えて離れないという選択もあり得ます。「どうせ私は・・・」と勝手に暗示をかけて、自らを縛るような環境を現実に創っています。仮面を被った上での人間関係や環境はひとつの世界をつくります。敢えて仮面を被り続けることも選択のひとつだったりするものです。
自分の不幸を見せつけることが目的ならば、ある意味復讐です。復讐というと怖い表現ですが、親子関係では特に多いパターンです。「貴方のせいで、私はこんなに不幸になった」と見せつけたい。これは幼少期の刷り込みも関係するものです。本人は無意識でしていることが多く自覚していないものです。
この3つの理由は、深堀した根っこの部分です。
だから一見すると「そんなこと思ってない!」と感じるかもしれません。
でも苦しい居場所なのに離れないという事は、それなりの深い意図がある筈です。
離れる離れないは本人の決意次第。
でも、その前に「何故自分は離れないのか」その理由を深堀して、根っこにあるものを探す事が必須です。その理由を自覚した上で「離れる勇気」を抱くならば、次のステージに上がるサインです。
人間は本来、「本当の自分」を表現する事で周囲との調和がとれるもの。それによって、周囲や自分を不幸にすることはあり得ません。本当の私として生きて、本心を自然に表現することは自分の尊厳を守る事。誰かに不幸な姿を見せつける復讐は自分への裏切りです。
今、敢えて「苦しい場所」を選んでいるのなら・・・その意図の深堀はキツイかもしれないけれど、確認する価値はあると思うのです。居場所を選ぶことは、心身ともに自分を護る大切なこと。環境や人間関係は生きていく上で大きな意味を持つものです。
其処は貴方の居るべきところですか?
きっとその答えは貴方の本心が握っていると思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに。