星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

日常の些細なものに神は宿る

    

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1370回目のブログとなりました(^^♪

 

今日は「自分にとって神の宿るもの」について共有いたしましょう。

「神」というと抽象的かつ怪しい表現ですが・・・要は自分にとっての楽園、侵されたくない聖域のようなものです。

 

誰でも「これがあったら幸せ」「この瞬間のために頑張れる」・・・そのような状況があると思うのです。それは人ぞれぞれですよね。それは大抵日常の些細なものとして在るものです。

 

お風呂に入って心と身体が緩んだとき

大好物のスイーツを頬張っているとき

推しの動画を無心で観ているとき

肌触りのよい毛布にくるまって眠るとき

 

表情もほっこり緩んで幸せな日常のワンシーン。

実は自分にとってのオアシスであり、神が宿る場所です。

 

表現を変えれば、思考の声(不安や自責の声)が届かない場所。本当の自分がスッピンでくつろげる場所といえるでしょう。直観や閃きも降りてき易い状況です。

 

私達はそのオアシスに戻る時、決まって呟きます。

「あーこのために今日も頑張れた」

それこそオアシスに辿り着いた証といえる呟きなのでしょう。

 

そうは言っても、人は多忙を極めたり感情の浮き沈みで容易く調子を崩します。生身の人間ですからね。そのような状況になればいつものオアシスも閉鎖し、そこにたどり着いても何も感じないという非常事態が発生します。喜びも楽しさも安心感も感じられない・・・当然神は不在となる訳です。

 

そのような状況下では、顕在意識や思考の声が荒々しく侵入してくるもの。不安や恐怖を煽ったり無力感で私達を動けなくさせてしまうもの。そこに至ってしまっては脱出するには時間もエネルギーも消耗してしまう。ある意味緊急事態です。

 

だからこそ、自分の日常にあるオアシスは護らなければならないもの。それを脅かす状況や人間関係とは早めに距離を置くこともひとつの手。自分のオアシス・・・神の宿る場所は自分でしか守れません。そして他人のオアシスに土足で入ることも許されるものではありません。

 

私のオアシスは特別な場所にあるのではなく、日常の些細なものの内にある。

大切な個人の聖域だと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。  ご参考までに(^^)/