こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1267回目のブログとなりました。
今日のテーマは「共感」です。
共感というと、コミュニケーション初めの一歩とまで言われていますよね。
気候の挨拶から、悩み、意見、弱音・・・「それ、分かるぅ」と共感する。
共感することで共有するものがある。コミュニケーションの前提なのでしょう。
確かに「分かるぅ」と云われると何だかホッとする。深い悩みだったならば尚更です。
共感し合ってスッキリする部分もあるでしょう。でもね、共有するものがネガティブなものほど注意が必要だと感じています。
貴方も経験あるのではないでしょうか・・・。
「分かるぅ」と共有しても多くの場合、そこから先に話題が進まないということを。不満を呟いて共感し合ったとしても、その場はそれで終わってしまう。もしくは共感特有の「傷のなめ合い」になるのかもしれません。
それが度重なると・・・意識が縮小しその場が澱んでしまうものです。
職場の愚痴や家庭の不満など、その場は「分かるぅ」と盛り上がっても帰り道にはドッと疲れが出てモヤモヤしたりする。それは風通しの悪い場で酸欠になった証拠です。勿論「共感」が悪者ではありません。でも共感だけでは先に進めないのは確かなこと。
思い切って共感から一歩先に進んでみることも大切です。
「分かるぅ」から「じゃあ、どうしようか?」にたどり着くことです。共感のその先にどうしても進めないような‟場の雰囲気”ならば、自分の為に関係性を見直すのもアリです。だって時間も気力も体力も有限ですから・・・正直勿体ない。あくまでもその選択は自己責任ですが、とても大切な分岐点に立っているのではないでしょうか。
「類は類を呼ぶ」・・・古くからの言い伝えです。
共感だけで繋がっているならば癒着となり、共感から化学反応を起こすならば拡大する。自分はどんな類の人間か・・・それは「今の居場所」を観ることで判明すると思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。どうぞご参考までに(^^)/