星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

それは誰が欲しがったのだろうか

     



こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1259回目のブログとなりました。

今日のテーマは「欲しているのは誰か」をテーマに共有いたしましょう。

 

欲する気持ちは現実を支配する

 

何かを欲することって、日常生活において絶え間なく訪れるものです。

 

眠たい。このまま寝ていたいな、

お腹空いた。お昼何食べよう、

この週末は洋服買いに行きたいな、

クリスマスまでに痩せたいな・・・

 

いつも何かを望んでいるものです。

でもそれは誰が望んでいるのか・・・結構現実に影響を与えるものです。

 

頭?ハート?理想の自分?

 

誰が欲しているのか・・・それは3つに分けられます

 

頭:他人が欲しがっているから。流行っているから。

  何となく手に入れることで満足する。心の隙間を埋めるための欲。 

 

ハート:心と身体が反応したり、一目惚れで求めてしまう。まるで自分の一部のように欲する。コアな自分が欲しているかのよう。

 

理想の自分:理想の自分はきっとこういうものを持っているんだろうな、カッコイイな。これは何時か役に立つものだろうな。「今ここ」に意識はない状態。



何かを欲する時、「頭」「ハート」「理想の自分」のいずれかの欲であることが殆どです。



日常に潤いをもたらすのか影を落とすのか、はたまた何も起こさないのか

 

「頭が欲している時」そこに自分は存在しません。親、パートナー、友人が欲している物事を手に入れても、心が震えるような喜びはそこにありません。嬉しいことがあったとしても、それは喜んでいる他者の姿を目の当たりにする時です。「頭の欲」ばかりでは「何がしたいのか分からない」「虚しい」・・・エネルギーが枯渇してしまいます。

 

「ハートが欲している時」それは本当の自分の欲。心と身体を通して無意識領域の欲求を伝えてきます。そのキーワードは「一目惚れ」と「何故だか無性に」。身体が欲する食べ物を口にした時「身体が喜んでいる!」と感じるように、お店に入った瞬間「この靴は私を呼んでいる!」と感じるように、言語化し難い潤いを生活にもたらしてくれるものです。ただ、閃きで飛び込んでくるだけに、こちらの都合などはまるで無視。それを全てリアルタイムで叶えるのは難しいかもしれません。でも確実に自分の心と身体はは喜びます。

 

「理想の自分が欲している時」そこにいるのは今の自分ではなく、理想の自分のイメージです。ハートの求めるものと混同しやすいものですが決定的な違いがあります。それは手に入れた時の喜びが薄っぺらい、もしくは何もないということ。例えば本を選ぶ時、「あ、面白そう読みたいな」で購入する訳です。そこまでは「ハート」「理想の自分」も同じ。でもハートが欲した本は何度も夢中で読み返し、ときめきは色褪せない。対して「理想の自分」が欲した本は“積読”一直線。目を通すことすらしないかもしれません。理想の自分が求めたものは、今の自分にとってリアリティがない。これは洋服や持ち物などステイタスを象徴することに混ざりやすいものです。

 

***

 

人間は四六時中何かを欲しているものです。

その欲を誰が求めているのか理解せず、全て受け入れていては欲に翻弄され支配されてしまうことでしょう。何故なら自分の生活自体消化不良になってしまうから。欲をどんどん受け入れても消化できなければ、あらゆる巡りが詰まってしまう。ある意味便秘のようなもの・・・自分に吸収されない欲は人生にとっては毒になるのです。

 

本当に自分が求めるものを欲しい!と言う。

手に入った時の嬉しさときめきが・・・欲が消化されているサインだと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/