こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1108回目のブログとなりました。
今日は「自分の弱み」について共有いたしましょう。
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誰にでも弱みというものがあります。
自他認める弱みもあれば、自分で弱みと思い込んでいる場合だって。
ふた昔前の教育では、長所=善 短所=悪でした。
弱みは少なければ少ない程良い。一般的に強みと弱みの平均値を高くすることを目指しました。その後「長所を伸ばそう!」という方針が主流になっていくことになりました。
でも・・・その子供達を育てている親や先生は古い方針で育てられたグループです。マニュアルや子育て本に「良いところを伸ばして育てましょう」と頭で理解しても、幼少期に叩き込まれた考え方は簡単に納得しないものです。
つい、我が子の弱みを苦々しく思ってしまうものです。
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私自身、弱みは弱みだと思っています。
忘れ物が多いとか、遅刻しがちだとか、友達と上手く付き合えないとか・・・、それを良い解釈に置き換えることも出来ますが、それは詭弁だと思ってしまう。
何故なら、社会や集団生活においてはやはり不都合だから。
もちろん「弱み」を日陰者にする必要はありません。
弱みであろうが強みであろうが自分を構成する個性の一部。卑下する必要もありません。でも自ら意識的に取り組まない限り更生も至難です。抑え込もうとすればするほど、弱みは「主」にしがみついて離れないから・・・。それは負の感情と同じ類の抵抗です。
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弱みというものは、ある意味「愛嬌」なのかもしれません。
愛嬌はどうにも憎めない仕草や表情を指す言葉。決して悪意ではない。弱みそのままで肯定的なイメージを付けてあげることです。
日本語は微細なニュアンスの違いを表現することに長けています。
「あばたもえくぼ」「惚れた欲目」「恋は盲目」・・・一見「弱み」を温かく包み込む表現です。
敵対する人からは到底「愛嬌」なんて思えないでしょうが・・・
せめて自分や家族だけでも愛嬌として認めてあげたい。
押さえつけられ矯正を求められ続けた「弱み」だって何らかの形で認められた時、昇華し変容を遂げるものです。意外にもそれが一番の強みになることだってあり得るのです。
星を読む時、大好きな言葉があります。
ダイヤの原石は一番見つかり難い場所に埋められている・・・ということです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/