星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

マグカップの数だけ傷がある

今週のお題「わたしのコレクション」

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1035回目のブログとなりました。

 

今日は今週のお題「わたしのコレクション」より共有いたしましょう。

 

***

 

私のコレクションは「マグカップ」。

好きで集めるとはちょっと違う。増え続ける不揃いなマグカップは「私のかすり傷」を象徴する。

 

いつの頃からかな・・・仕事や人間関係で心が折れそうな時、マグカップを買って帰るのが習慣?になっていた。自己嫌悪や虚しさに憑りつかれトボトボ歩く道の途中でマグカップを何故か買ってしまう。

 

当時家の近所にセンスの良い小洒落た一軒の雑貨店があった。

インテリア、調理器具、食器など・・・「こんな素敵なモノに囲まれた生活いいな」と思わせるものばかり。

 

私は子供の頃から凹んだ時は必ず道草を食う。

本屋さんだったり、友達の家だったり、公園のベンチだったり、いい歳になってもやる事は変わらないものだ。

 

きっと中年のおじさんが居酒屋に寄り道するのも同じことなのだろう。

頭の中を切り替えたいのだ。虚しさを同伴して家に帰りたくないんだ。

 

私はもともと食器が好きだった。とはいえマグカップに特化して好きという訳ではない。でも虚しさに心が占拠されている時って、部屋の中で温かい珈琲をまったり飲んでいるシーンに無性に惹かれてしまう。私にとっては幸せの象徴なのかもしれない。

 

だからなのか凹んだ時こそ、マグカップに引き寄せられる。

小皿やボウルでは何か違う・・・やっぱりマグカップだ。

 

あれこれ迷いながら、マグカップを一個購入してお持ち帰り。

当然ながら、かすり傷の証であるマグカップは確実に増えていった。

 

10年ほど前に引っ越しをした時、その数につい笑ってしまった。

どんだけ傷だらけだったのか。不揃いなマグカップを眺めると、つい其々の状況が思い出されてしまう。

 

でもかすり傷と表現したものの、名誉の勲章なのかもしれない。

くじけそうになりながら、弱音を吐きながら、それでもその時は懸命に這い上がろうとしていた・・・私にとっては勲章だ。

 

ちなみに、ご機嫌な時は何故か酒器を選んでしまう。

ぐい飲み、うすはりグラス、錫の盃など、マグカップと酒器の選択基準は自分でも意味不明。

 

でも少なくとも私の機嫌を安全地帯にいざなうのは・・・器だと思っている。