こんにちは、晏藤滉子です。
連続投稿962日目の本日のブログとなりました。
今日は心がちょっとささくれだった時に使う「おまじないの言葉」を共有いたしましょう。
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心がささくれる時・・・それはお肌と同じように潤いがなくなる時です。
時間に追われている、常に忖度を考えなければならない、丁寧に生活できない、睡眠の質が悪い・・・周囲に翻弄されたり基本的な生活が脅かされる時、ほぼ心はささくれます。
ささくれると、心は乾いて潤いがなくなり感情の表現が乏しくなります。「私なら大丈夫!」という鉄仮面を被り、その下の怒りや涙を周囲に見せなくなる。笑顔も当然消えてロボット化してしまう。
ささくれだけでは傷とはいえないけれど・・・動作のたびに引っ掛かり気にかかるものです。そして何かの拍子にささくれから傷に進んでしまうもの。それは結構痛いものですよね。
だから、ささくれの段階でお手入れをすることが大切です。
栄養や潤いや・・・水仕事に手を付けなければ済むことかもしれません。でも、そんな基本的なことが難しいと感じる時があるのではないでしょうか。
だって、生活があるもの・・・と。
生活や環境によって、お手入れなんて悠長な事は言ってられない時期もありますよね。でもそんな時でも忘れてはいけない大切なことがあると思うのです。
「私は生活の為に生きていない」 それは自分に向けた宣言です。
例え、お手入れなんて無理! な時期があったとしても、「生活の為に生きているのではない」という軸を手放さないで欲しいのです。嵐のような時期が過ぎたら自分を癒してあげよう、可愛がってあげようと思い描くのも良いけれど。一日一回でも自分が和む時間を持てたなら、心の拠り所があるのなら・・・人は強くなれる筈です。
何の為に生きたいのか・・・それは人それぞれです。
でも、その先には確かに自分の幸せが在る筈です。
「私は生活の為に生きていない」・・・自分軸の根っこをシッカリ固定する為の「おまじない」だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/