こんにちは、晏藤滉子です。
連続投稿946回目の本日のブログです。
今日は「自分の居場所」について共有いたしましょう。
人は変えられないけれど居場所は変えられる
自分の居場所とは、仕事場であったりコミュニティであったり‟生きていく場”を指します。居場所の心地よさは殆ど人間関係が左右します。それだけに居場所に登場する人間にフォーカスしがちです。
あの親がいなければ・・・
あの上司はムカつく・・・
帰宅してからも悶々としてしまう。そんな経験をした人も多いと思います。
でも残念なことに、いくら思い悩んでも「嫌な相手」を変える事はできません。相手の発する言動は全て相手の問題だから。自分が手を付ける範疇の物ではないのです。
勿論話し合って改善していくことは可能。でも悶々と念じるだけでは現実は変わらないということです。
自分の意志で変えられる現実とは・・・居場所にそのまま留まるのか否かということです。
「一年先其処に居る自分がイメージ出来ますか?」
居場所を変える・・・一見単純なことですがそうもいかないものです。
日本人は「継続は美」「石の上にも三年」「努力は実を結ぶ」など、忍耐や我慢が美談になりがち。逃げることは恥という文化が顔を利かせていました。
だから居心地の悪い居場所であっても・・・
自分が悪いから
我慢が足りない
逃げたら負け犬だ
そんな自分を責める声が耳元で聞こえてくるようです。
逃げるのか? 我慢するのか?・・・その答えは自分が握っています。
その目安は簡単です。
一年後その場所にいる自分がイメージ出来ますか? という自分への質問です。
一年後、少しずつ慣れて頑張っている自分をイメージ出来るのならば・・・ハートがほっこり和むのならば・・・今の居場所にいる意味はあると思うのです。
一方、未来がイメージ出来ない、モノクロの現状しか想像出来ない場合もあります。その時はその居場所から離れる事、自分に相応しい居場所に移ることが賢明だと思うのです。
それは逃げる事ではありません。川の魚は海では生きられません、その逆も然りです。どうしても価値を見いだせない場ならば、我慢というエネルギーを投入してまでいる場所ではないということです。
そして大事なことは、「自分はどんな場所で生きたいのか」をシッカリ決める事です。離れればそれでいい・・・それだけでは正直同じパターンを繰り返してしまうことになります。
生きたい場所があるから、今の居場所を手放す覚悟を決める。
先ずは覚悟から・・・これはある意味、引っ越しに向けた「心の荷造り」です。
この場所からは引っ越すけれど、どうせ自分に相応しい場所で生きていく。
その視点で今を生きてみる事です。不思議と「自分に相応しい場所」に絡んだキーワードが集まってくるものです。「どうせ」は「当たり前」ということだから(^^)
心の荷造りが始まると面白いタイミングで現実が動き始めるものです。
タイムラグもあるので3ヶ月くらい先になるかもしれない・・・でも心の荷造りを終えさえすれば今の現状は「思い出の場所」になるだけ。我慢ではなく感傷的に捉えることも可能になる訳です。
痛い記憶も過去になれば思い出になるのですから・・・。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/