こんにちは、晏藤滉子です。
連続投稿881日目の本日のブログです。
今日のテーマは休むことについて共有いたしましょう。
最近仕事先でこのような話を耳にしました。
「仕事と家庭を回すことで一日が終わってしまう。ストレス解消や気分転換に趣味を楽しんだり、旅行に行ったりして楽しいけれど・・・全然休めないような気がする。疲れているのは確かだけれど、本当の意味で休むことって分からない」
うーん、分かり過ぎる程分かります。
私も同じようなテーマと向き合っていた時期なので尚更です。
現代人って、常に交感神経を張り詰めているようなものです。
巷に溢れる情報のシャワーを浴び続けアップアップしている状態。仕事も家庭も意識的に境界線を引かなければ、やることはエンドレスです。
ひと昔前は、根性だ! 気合いだ!が美化された社会。
「頑張らないといけない症候群」にもなる筈です。
本当は何もかも放り出して怠けたい時もあるのにね。弱音を吐かず我慢です。
でも、それって「底なし沼」に入ること。
気が付いた時にはそこから抜け出す方法すらイメージ出来なくなっているものです。
ストレス解消にまつわる情報は沢山あります。
好きなこと、夢中になれることを楽しもう。気分転換のススメです。
でも、それって殆どが対処療法の域にあるものです。
一時はスッキリしたとしても、週初めの仕事のことを考えたら憂鬱になってしまう。見方によっては「ストレス解消を頑張っている」ようなもの。
対処療法では根本的な改善はのぞめません。
じゃあ、「休むこと」ってどうしたらいいんだろう。
小手先の対処法や気分転換ではなく、本当の意味で休むことってなんだろう・・・真剣に考えると具体的な答えはなかなか思いつかないものです。
個人的に「休むこと」の理想形は自然溢れる場所の宿に長期滞在。敢えて何もせず本を読んだりぼーっとして過ごす事。デモ・・・これって時間の確保やあれこれとハードルは正直高めです。この理想形実現の為にメチャクチャ頑張るというのは本末転倒でしかない。
あくまでも現時点の個人的結論ですが・・・
結局のところ生活や仕事の「やり方」を見直す事が大前提。
その上で、空白の時間を確保して、自分に相応しい休養を取ることだと思うのです。
繊細な人ならば、ひとりの静かな時間
体感覚を満たしたいならば、マッサージや整体などのメンテナンス
感性を満たしたいならば、美しいと思うものを観に行く
何もしたくなければ、日がな一日ぼーっとする
先ずは、それを可能にする時間の確保だと思うのです。
「自分の時間なんて無いと同じ」という人こそ、時間の捻出のし甲斐はあるものです。
自分の時間の使い方を見直すこと・・・必要な時間と無駄な時間。案外無駄だと思っていた時間こそ、必要だったということもある訳です。また、その逆も然りです。
24時間の内で時間の断捨離をしていく。
しなければいけない事は早々に済ませ、リフレッシュの時間に充てていく。
心と身体を休ませるには、時間のコントロールが始めの一歩なのかもしれません。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/