こんにちは、晏藤滉子です。
連続投稿845日目の本日のブログです。
さて、今日は個人的な経験談を交え‟煩悩”について共有いたしましょう。
‟煩悩”については、過去にブログでアップしていました(^^)
私は8月何故か身動きが取れず、密かに悪戦苦闘していました。
でもお盆くらいからは、ある意味開き直りのステージへ。
それならそれで、一気に色んなことをスッキリとさせました。
大掃除したり、本を断捨離したり、眠たい時はどんどん眠る・・・。
その過程で、約2週間の食のデトックスを試みました。
それは、ほぼ修行僧のような食生活。カフェインやアルコールは勿論✖。水と玄米のみ食すという日々でした。断食などは過去経験済みでしたが、体温が下がって動けなくなるので却下。その代替として「粗食でデトックス」の人体実験です。
結果、断食よりも快適に生活できました。やはりエネルギー源(糖質)を口にしていると違うものです。苦行ではないけれど、何と言っても2週間の長丁場。それはそれは沢山の煩悩が出てきました。
最初の数日は、やはり「食べ物」の煩悩が襲ってきます。ただ、断食の時のように翻弄されるレベルではないのが救いかもしれません。せいぜい珈琲飲みたいな・・・くらいのものでしょうか。次第に食べ物以外の煩悩がやってきました。それは焦らすような、不安を煽るような心にべっとり張り付くような煩悩でした。
「私ってどうせ・・・」と罪悪感を湧き上がらせるような煩悩達。
「どうして動けないの?」と挑発するような煩悩達。
普段だったら、その煩悩達とどう向き合おうか、鎮めようかと反射的に考えてしまうところです。でも、この2週間の「私の反応」は全く違うものでした。それは、訴える煩悩達をもう一人の私が静かに眺めていることに気づいたのです。ひたすらじっと眺めて「そっか・・・」と呟いている。眺めているもう一人の私は、決して苦しいとか嫌悪感も感じていません。
ただ、煩悩と静かに向き合っているだけ。
この体感はとても新鮮なものでした。
修行僧のような全ての無駄を省いた食事は、正直エネルギーやスタミナがつくものではありません。どちらかというと「今ここに在る為の食」です。普段ならば、何か問題が起こった時ちょっと上から目線で「何とかしよう」と心の中では思いがちです。でも修行僧食で過ごしている時は、ただ問題を見守ることに終始する。
また、仕事や生活の上で湧き上がる感情についても同じような事が起こりました。起こった物事に対して、怒ったり不満に思ったり・・・そんな時すらも、心の内ではいつになく静かな状態です。悟りをひらくなんて大層な事じゃないけれど・・・感情の波は静かです。
もしかしたら、感情も含め煩悩を抱くって・・・物理的なエネルギーが相当必要なのかもしれません。だから頑張りたい時はいっぱい食べよう!なのでしょう。
修行僧食は、極端過ぎてお勧めはしません。私も9月になった時点でエネルギーをドンドン入れていきます。やはり「食いしん坊万歳」らしく生きたいものですから。
でもね・・・煩悩達の主張を「そっかそっか」と静かに聞いていた時、煩悩達はなかなか可愛かったことを覚えています。想いがストレートで妥協を知らない、まるで子供のようないじらしさ。これは普段分からなかったことです。この人体実験の収穫なのでしょう。
結局、私は煩悩を愛しているのだろうと思います(^^)
今日も読んで下さってありがとうございます! それではまた♪