こんにちは、晏藤滉子です。
今日はとうとう大晦日ですね。と同時に凄い寒波が日本を覆っています。
今年は年中色んなことが在り過ぎて“季節感”を感じることが少なかったように感じます。いつの間にか一年が駆け抜けていったかのようです。
さて、大晦日というと「除夜の鐘」。
毎年「除夜の鐘」の映像がNHKで見られます。
紅白が終わり一気に厳かな雰囲気に。「これぞ大晦日!」という風情です。
子供の頃、何だかこのシーンが好きでした。
子供ながら朧げに「108つの煩悩」という言葉を知りました。
今なら嫌というほど煩悩の意味が分かりますが('◇')ゞ
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煩悩って、「悟りの道を阻む邪念」とも云われています。
つまり、欲望、執着など過ぎると「毒」となる。
大晦日ではそれを除夜の鐘で浄化するというのですから、仏教界では「悪者」
です。
でも私自身、煩悩って何だか憎めない。
とても、人間らしい「想念」だと思うのです。
宗教の戒律から観たら悪者でも、一般人からみたら煩悩は必要なもの。
煩悩によって、悶え苦しんだり、悩んだり、そこから自分と向き合うキッカケ
となる。執着だって、適度なものは「こだわり」として歓迎される存在です。
愛とか、情とか良い意味で捉えられる感情も、過度になれば煩悩になってしま
う。すべての感情は過度になれば、「悪者」になってしまうものです。
という事は、108つの煩悩だって、元をただせば「真っ当な想念」
ちょっとやり過ぎちゃっただけのことなのに・・・大晦日の公開処刑になってし
まっている。
そう思うと、煩悩って憎めないキャラです。
私自身、煩悩を抱えこみ密かに悩んでいる人を見るとつい萌えてしまう。
それは人間らしい愛すべき人だから(^^)
まぁ、ドヤ顔で煩悩を出されるのは、それはそれで問題ですが。
とにかく程度こそあれ、煩悩は人生におけるスパイスかもしれません。
なくては全体の味がしまらないし、ボンヤリする。
そして、人は煩悩を通り抜けてこそ「本当の自分の欲」に気づくものだと思うのです。
人生をかけて何に執着し、求めるのか。
とことん煩悩にまみれて、やっと見つかることだってあるでしょう。
人生は「悟りへの道」というよりも、「本当の自分に還る道」だと思うのです。今夜の「除夜の鐘」の音は、煩悩を愛でる調べかもしれません。
今夜はちょっと楽しみです(^^)
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今年の最後のブログです。
今日気づいたのですが、去年の5月から毎日投稿していましたが、
本日でちょうど600日となりました(^^)/
拙いブログですが見守っていただき、感謝の気持ちが絶えません。
ありがとうございました。
そして、来年もどうぞ宜しくお付き合いくださいませm(__)m