こんにちは、晏藤滉子です。
私達を悩ませる「負の感情」の中でも、
「怒り」は攻撃的なイメージがあります。
怒りは、表立った言動にも出やすく、分かりやすい。
「冷静になりなさい」「許しなさい」「忘れなさい」と周囲からも諫められる類の感情かもしれません。
そうは言っても、負の感情に関しては早々に手放すよりも、じっくり感じ切った方が復活は確実に早いもの。
今日は「怒りの昇華」について共有いたしましょう。
感情の浄化(昇華)とは
よく云われているのは「涙は感情の浄化」。
確かに、悲しい寂しい感情に振り回されている時こそ、「涙」は感情の浄化を促します。
でも、大人になると「泣くこと」・・・少なくなりますよね。
子供みたいに、顔を真っ赤にクチャクチャにして泣くことなんて滅多にありません。
大人になると、人知れず静かに涙を流す事が「大人の流儀」のようになっているから。
だから今、「泣けない人」が実際多いのです。
泣いてスッキリしようと思ったのに、時間が経って気が紛れてしまう。
その為に「泣ける映画」で、涙する環境をお膳立てする場合だってあるようです。
「感情の浄化」はとても大切なことです。
負の感情を見て見ぬふりする、無きモノにしようとすればするほど、
その感情はシツコクへばりついて、思い出させるような現実を引き起こしがちに。
「浄化」というのは、忘れることや許すことではありません。
浄化は感情を、自分なりに昇華させること。
悲しい時に涙を流す事も「感情の浄化」となります。
それが、例え「泣ける映画」によるものでも、確かに浄化を促すものです。
「怒り」の浄化は強いパワーをもつ
「怒り」は抑え込みがちな感情です。
でも悲しみなどと同様、抑え込んで消滅する代物ではありません。
「怒り」のような攻撃的な感情は、体験する本人もダメージを負うものです。
負の感情は、エネルギーを消耗するもの。扱い方によっては問題を長引かせ、
黒歴史になってしまう事もあり得ます。
そして怒りは攻撃的な分、深堀すると自分自身をも攻撃する取扱注意の感情です。「こんなことを考えている自分なんて・・・」と自分責めに発展しがちです。
怒りと向き合う事は辛いですよね。
感情に自分自身を乗っ取られる感覚があり、翻弄されてしまうもの。
でも、「怒りの沼」から早く脱出するためには、
自分自身で感情に引導を渡し、昇華させなくてはなりません。
その為には、ガチで向き合う時間と環境が必要です。
怒りを放出すること
「怒り」を昇華させるには、発散することが近道です。
負の感情は記憶を辿りやすい特質を持っています。
何故なら、昇華されていない負の感情は、いつでも顔を出せるように心の奥底でスタンバっているからです。「忘れないで・・・」ということです。
悲しみは「涙」で開放される。
怒りは「体感覚」で発散していきます。
(社会や他者に迷惑かけない前提ですが)
枕をガンガン殴る、お皿を割る、負の感情を書きなぐった紙を燃やす、大声で叫ぶ、暴飲暴食、怒りを誘う環境や人間関係から距離をとる・・・身体の感覚に物理的に訴える方法。決して頭の中だけで対応しないことが重要です。
これは誰にも見せられないような攻撃性。攻めの浄化です。
個人的な経験ですが、車の中で大声で叫んでみた事があります。心の底から本音を叫ぶこと・・・怒りのエネルギーを放出しきった時、抽象的ですが、何かがカチッと切り替わるのを感じました。
これはあくまでも個人的な感覚なので、人それぞれの手応えがあると思います。放出したあと、何時間も熟睡した。怒りの塊が青白い炎で燃えたとイメージした方もいます。
共通することは、怒りを昇華した後には、「人生の転機」と表現出来るようなステップアップを遂げているということ。これは、怒りを無事昇華させた証なのかもしれません。
怒りや悔しさをバネにして・・・という言葉がよく使われます。
確かに、負の感情は「強いエネルギー」を持っています。
それを原動力にするのは有効な活用法ですが、そのまま握り締めていては、
いずれ持て余すことに。「何の為にやってきたのか」と虚無感に苛まれること
もあるかもしれません。どこかの段階で、きっちり昇華させてあげること。
それが「怒り」とうまく向き合うライフハックだと思うのです。
悲しみは人生に深みを加え、怒りは人生に転機を与える
どんな感情も貴方の一部。決して敵ではありません・・・(^^)
今日も読んで下さってありがとうございます。 どうぞご参考までに。