こんにちは、晏藤滉子です。
本日ブログ連続投稿795日目となりました。
さて今回のテーマは「人を許すこと」で共有いたしましょう。
人間関係は、人としての悩みトップ3に入る、古今東西共通のものです。
許せなくて彷徨う人達がいる
仕事もお金も、恋愛も・・・最終的には「他者との関係」が何らかの形で絡んできます。
人間関係の良好さは、人生の質を上げることに繋がります。
ウマの合う人も、全く合わない人も存在します。
会わない人とは・・・多かれ少なかれ衝突や摩擦、葛藤が起こります。
水と油がそのままでは全く混ざらないように・・・
そこで精神世界やスピ系では「許す」を提唱しています。
相手を許せば・・・自分にとっても良い事。恨むこと憎むことは何も生み出さないどころか自分に還ってくる悪循環に嵌ってしまう。だから相手を許しましょう。
そうは言っても、私たちは人間です。
「許す」ことを、理屈では分かっていてもどうしても受け入れられない。そこで立止まってしまう人も多いようです。
その気持ちも凄く理解できます。上っ面の笑顔で「許す」なんて言えない。そんな相手も現実世界では確かに存在しますから。
「私って、人間性が低いのかな」「こんな私は幸せになる資格はないのかな」
なんて迷っている人がとても多いと気づきました。
「許す」を因数分解してみる
許せない私はダメなんだ・・・そんな呪いは蹴とばしましょう。
自分の本音として、許せないのなら許せないのです。
無理に作り笑いして受け入れるなんて、自分への冒涜です。
無理に「許す」必要はないけれど、それが出来ない人の多くは「許す」を違う意味で解釈していると、ある時気づきました。
「許す」は、相手の言動を許して受け入れることと思いがちです。
でもね・・・「許す」とは「許可」だと思うのです。
相手の言動は、相手にとっての「正義」の現れ。勿論自分にとっての「正義」も同時に存在します。相手の正義が許せなかったし、自分の正義が傷つけられたから問題となってしまうものです。
相手の正義は到底理解出来ないけれど、そういう正義があることだけは許可しよう。そのような意味の「許可」もあるのです。別に相手の正義が受け入れられないならそれも良し。無理に受け入れなくても良いのです。
私は到底その言動を受け入れられないけれど、
貴方がそれを正義だと思いたいならどうぞ・・・許可しよう。
許す=許可ならば、負のループは沈静化する
許す=許可に仕切り直すと不思議な事が起こります。
「それはあの人にとって正義なんだ」と許可するだけで(それを相手に伝えなくとも)
関係性は次第に沈静化していきます。
始めは自分の心の中が静かになり、それが次第に当事者間にも反映されるといった具合に・・・。
人間関係の争い、国家間の争いでも同じことですが、
トラブルの元凶は、自分の正義vs相手の正義のぶつかり合いです。
自分の正義を押し通して相手に押し付けようとする行為から始まるものです。
でも、「貴方は貴方でそんな正義があるんだね」と許可した時から、意識下では相手も共調しやすくなるものです。国家間ならば、文化や慣習を認めた上で交流しようとする。国交断絶から外交と変化していくようなイメージです。
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私自身、「これはないでしょう」とずっと許せなかった人がいます。
何十年経っても怒りがみなぎるようなあの人、この人・・・。
でもね・・・
「とても許せることじゃないけれど、当時のあの人にとってはそれが正義だったんだ」と意識を仕切り直すことで、何より自分自身がラクになるのです。怒りを握りしめていた自分を責めることなく、相手も責めない。
許すとは・・・、怒りや悲しみに支配された自分を「それでいいよ」と許可し、柔らかく包むことなのかもしれません。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/