こんにちは、晏藤滉子です。
今日は「自分にとって譲れないものを知る」をテーマに共有いたしましょう。
「地雷言葉」は大切なものの在り処を教えてくれる
地雷言葉とは、その人にとって「触れたら危険な言葉」です。
どんな近しい人でも、これを言ったら怒り出すような言葉。特定の状況かもしれません。
そんな地雷言葉は誰でも持っているのです。
行動、生き方、家族の話題、マイルールなど「地雷言葉」は人それぞれ。
それだけに、言った本人は何気に口にしたのに、受け手が大激怒するなんてこ
とも。
人にはその人なりの事情や尺度があるのです。
ただ、「地雷言葉」は多分一度発動したら一生変わらないもの。
多分・・・と表現したのは、それが幼少期に周囲から言われ、そのまま丸呑みし
てしまう場合があるから。要は刷り込みですね。そういうものだと思い込んで
しまう。だから「地雷言葉」を自覚するのは大人になってから、自分の意志を
持つようになってからという事が少なからずあります。
「地雷言葉に反応する」・・・これは無意識な反応であり、「本当の自分」の主張です。それだけに「人生において大切にしたいこと」を教えてくれる。
そういう大きなテーマって、いきなり問われても言語化はし難いものです。
あれも、これも大切だよな・・・と思う内に頭の中が取っ散らかってしまうか
ら。
そんな時は、視点を変えてみる。
一番許せない、怒る、譲れない言葉から、「宝物の在り処」を探す事が近道
だったりします。
「地雷言葉」は本当の自分にとっての正義を表す。
地雷言葉に反応する時、(頭の中で)共通のことが起こります。
それは「○○かもしれない」「悪意はないと分かっているけれど」などとオブ
ラートに包んだ表現を付け加えません。
聞いた瞬間、行動を見た瞬間、「それってダメ!無理!」と一刀両断。
もはや生理的反応で、即行拒絶します。
だからこそ・・・無意識領域の判断。「本当の自分」の肉声です。
私の場合は、「私の言う事を聞いていればいいのよ」。
そんな意図を感じさせる言い方が、どうしても受け入れられない。
大人の社会だったら、よくあることかもしれない・・・でもダメでした。
それは子供の頃、母がよく言っていた言葉でした。でも当時の私は拒絶するこ
ともなく、何も考えなくていいんだと云われるまま。
思春期の反抗期もなかったし、そういうものだと思い込んでいました。
今から思うと、自分の人生を生きていなかったのでしょう。
大人になって、自分の意識が目覚めた頃、周囲と衝突もしたし、不器用な別れ
方も経験しました。でも・・・「地雷言葉」には従わざるを得ない、そんな強い
確信をずっと握り締めていたのです。
「地雷言葉」から私が得た気づきは「自由と平等」。
それが自分にとって譲れないキーワードと気づいた時、無闇に地雷発動するこ
とはなくなりました。「そもそも私ってそういう人間なんだ」と自分の本質に
気づくことで、地雷の正体が見えてくる。地雷発動も、予め回避できるものです。
貴方が反応する「地雷言葉」は何でしょうか?
其処には、貴方が守りたいもの大切にしたいものがある筈です。
貴方の感情の「地雷」は、必ず理由があると思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/