こんにちは、晏藤滉子です。
今回は「二つの努力」について共有いたしましょう。
努力には2種類ある
私は忍耐や我慢は嫌いですが、努力は結構好きです(^^)
理由は簡単で、努力は夢中になれるから。心が充たされるから。
あくまでも好みですので悪しからず、正解はありません。
時間を忘れ集中していく、それが損か得かの世界ではなく「自分がしたいから」。これは時間の捉え方で例えると「ストップウオッチ」かもしれません。
対して忍耐、我慢は終わることを目指すイメージ。
これは時間の捉えでは「タイマー」。 「あと何分!」と胸中ではカウントダウンする。
(閑話休題・・・話を元に戻しますね)
「努力」というものは、2種類あります。
・他者の期待に応える努力
・自分の心を充たすための努力
他者の期待に応える努力
その努力の原点は「他者」です。
少なからず「自分の希望」は混在していても、多くは期待に応えること。
親の期待に応えて、上司の期待に応えて、先生の期待に応えて
勉強や仕事に努力をしていく。
ある意味、家族や仕事場では、従順であり真面目な行為です。
でも、その努力の過程で、「自分は何のために、こんなに頑張っているんだろう」と迷路にはまりがちになるのがこのパターンです。期待に応えること自体に疲れてしまう。そういう努力は長続きしないものです。
何故なら、努力の源泉が「自分」ではない、「他者」からの評価だから。エネルギー不足に直ぐなってしまうのです。 当然燃費悪いので、努力の効果も出にくいことに。
そして「期待」は「他者の思い」です。
好意で「頑張って!」と期待されても、本人にとっては「重く」感じるタイミングも訪れます。また、悪意に近い「期待」も存在します。上司や先生が「どうせミスするはずだ」「要領悪いし目を離せない」などとレッテルを貼る。これも悪意の期待です。
悪意の期待は影響力が強いもの。努力している当人は無意識下でそのレッテルに気づきます。そして悪意の期待にちゃんと応えて、失敗したり行動がぎこちなくなってしまう。
新入社員によくみられるパターンです。
他者の視線を感じつつ、努力して頑張って・・・なかなか報われない時、
「努力」が「怒力」にひっくり返ることがあります。
怒る・・・逆ギレてしまう。ちゃぶ台返ししてしまうことに。
自分の心を充たすための努力
これは、子供の頃の「夢中になること」がイメージとして近いものだと思います。
自転車の練習や、覚えたてのスポーツ、ゲームだって
時間を忘れて、失敗しながら、転びながら夢中になるようなこと。
少なからず経験あるのではないでしょうか。
「何のために?」なんて野暮なことは放っておいて、ただ「やりたいから」。
その努力は心を充たしていきます。誰に強制されることもない「熱さ」が身体全体を駆け巡っていく。
努力の原点が「自分」の場合、潜在意識からエネルギーを供給していく。
それは欠けることのない源泉です。消耗感や無力感とは無縁。
とにかく楽しい、夢中になる。
それが自分を充たす「努力」です。
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大人になるにつれ、期待に応える努力が多くなります。
本人にとって、それが励みならば何の問題もありません。
ただ、もしも貴方が、そこに虚しさや疑問を感じているのなら、
「努力の原点」を確認してみて下さいね。
それは自分を充たすための努力なのか?
努力の向かう先を軌道修正してもよいし、
視点を変えて、努力の原点を自分仕様に直してもよいのです。
他者の為ではなく、自分の為の努力は尊い。
そこに意識を向けることも、大切なことだと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/