こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1119回目のブログとなりました(^^♪
最近のことです。
「私って何でも中途半端で続かないの」という知人からの言葉。ちょっと自虐めいた雰囲気です。つまり自分でダメな性格と責めているようです。
もしかして子供の頃から家族に言われていたのかもしれません。私も好奇心が沸き上がると止まらないタイプでよく母親から言われていました。「どうせ最後までやらないでしょう」と・・・まぁ、確かにその通りだったのですが。
昔から「初志貫徹」という言葉があります。一度決めたことは最後まで極めろ!という意図ですが、日本ってこの類の言葉が大好物。根性論や精神論で何かを達成する美学を多くの人が持っています。
確かに地道な努力が実を結び、何かを成し遂げるということは素晴らしいことです。
でもそれが出来ないことはダメなのでしょうか?
諸事情から道半ばで挫折する人もいるし、途中で他の物事に関心が移ってしまうこともあります。一般的にそれは「残念な人」のグループに入ってしまうのかもしれませんね。
でもそれで自信を失ったり、自分を責めたりする必要は全くないと思うのです。
結局、継続するのか否かが分岐点です。
継続できなかったということは、関心がなくなったということ。
どんなに成果がでなくても忙しくても、自分が好きで楽しかったらどんな形でも継続できるものです。趣味とかゲームとか夢中になるのも、好きだから好奇心が満たされるから。損得ではありません。自分の意識が「続けたい!もっとやりたい!」と宣言しているのです。
対して、継続できなかったものは単純に「飽きた。面白くない。やりたくない」
色んな諸事情があったとしても、結局は「もう続けたくない」と自分で決めたこと。
溢れる好奇心から色々手を伸ばして中途半端になってしまうのは、ある意味好奇心の移り気に過ぎません。単に「ずっとやりたい!」と好奇心を満たすものに出会っていないだけ。そのようなタイプは、惚れこむ「何か」を見つけたらきっと化けることでしょう。努力すらもウエルカムになってしまうような。
「初志貫徹」という概念で自分の好奇心を閉じ込めた時、継続することは苦行になるものです。もう気が乗らない夢中になれないものに自分の時間を差し出すのですから・・・それは努力ではなく忍耐になるものです。
継続できないからと言って、中途半端なダメな人間ではありません。
「自分はこれを続けたくない。もう飽きた」と決めたことを実行に移しただけのこと。
他者が決めたことではなく・・・自分でちゃんと決めたのですから。
決めたことに責任を取るだけ、自分を責める必要はありません。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/