こんにちは、晏藤滉子です。
最近ちょっと気になっているテーマがあります。
それは、「全ての出来事は自分が創っている」という言葉。
スピ系ではよく言われていますよね。
“鏡の法則”とかもその系統。
確かにそうかもしれない。
でも、ちょっと誤解される部分があるなと思うのです。
その仕組みを正確に伝えようとすると、とてもややこしい。
あまり拘ると本筋から逸れてしまうので、その仕組みは別の機会に。
今日のシェアは出来るだけシンプルにいきましょう。
全ての出来事は自分が創っているということ
「全ての出来事は自分が創っている」
大きい意味では事実と思っています。
でも、文字通り受け取るとちょっときつ過ぎるかと。
世界に起きた悲惨な出来事も
パートナーに手痛い裏切りにあったことも
同級生に虐められたことも
理不尽な事件に遭遇しても
・・・全部自分のせい?
それを考えていたら、動けなくなってしまう。
何も感じたくないと心を閉ざしてしまうかも。
だって、私のせいで「こんな事」が起こっているのだから。
罪悪感100%の世界を創ってしまう。
それでは生きることが窮屈で苦しみに満ちてしまいます。
例えば、世界を創った「大きな神様」が在るとします。
丹精込めた世界にそんな「ブラックルール」創るでしょうか?
苦しみに満ちた世界を敢えて創るなんて余程のサイコパスか変態。
じゃ、「全ての出来事は自分が創っている」の意図は?ですよね。
出来事よりも重要なこと
大抵の場合「出来事」が重要視されるものです。
どんな経緯でこんなことが起こったのか、
そこに目が行きます。犯人捜しですよね。
そして見つけた犯人は“ナント自分だった”という流れ。
でも、大きな神様にとって大切なことは「犯人」や「出来事」では
ありません。
大きな神様が知りたかったのは、
その出来事に対峙したとき「貴方は何を感じたのか」
あなたの反応が知りたかった。まるでリサーチしているかのように。
「怒りの感覚」を引き出すために「怒りを引き出す人間の登場を」
「悲しみの感覚」に浸るために「悲しみを誘う状況を」
そこで、引き出される「感情・想い」は
「本当の自分」を思い出すためのエッセンスなのです。
そのエッセンスから「本当の自分を気づくこと」・・・
これが神様ゲームのゴールです。
「全ての出来事は自分が創っている」よりも、
「自分を知るために出来事を起こしている」が
正解だと思っています。
だから、罪悪感は必要ありません。
この法則は全ての人に当てはまる自然の法則。
意識をもって生きている限り続くものです。
自分の前で繰り広げられる世界を観て何を想うのか・・・
自己回帰には必要なのでしょうね。
今日も読んで下さってありがとう♪ ご参考までに(^^)/