こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1634回目のブログとなりました(^^♪
そもそも人間って「自分は何者だ」と断言できないものです。色んな質が混ざり合ってグラデーションにになっている。そしてそれは何時も揺らいでいるもの・・・だから断定はできません。それでも自分を表現したいならば外の世界に自分の「切り抜き」を見せていく。「こういう自分です」と・・・。
反対に誰かに興味を持った時「この人はどんな人なんだろう」とその人を観れる範囲で切り抜く訳です。「この人は○○な人なんだ」と・・・。
推しや恋人への想い、苦手な上司への苦手意識など・・・感情が湧き上がるのはその切り抜きを観た印象でもあるのです。その人や物事を全部見ることもないままに、その切り抜きがその人を表す全世界に見えてしまう。
だから長く付き合うと「こんな人とは思わなかった」「この人こんな部分を持っていたんだ」と印象がどんどん変化するのが当然です。だって切り抜きはその人のほんの一部なのですから。裏切られたなんて勝手な妄想です。
「本当の自分」とよく耳にするフレーズだけれど、案外本人も実体は掴めていない。でも「切り抜き」は自分で容易にコントロールできるもの。プレゼンと同じで「魅せ方のコツ」を理解していれば難しいことではありません。
今の時代snsなど切り抜きの宝庫です。自分の世界観を演出してそれを上手に切り抜き‟イイネ!”を集めていく。全部を敢えて出さないところがウケるのでしょう。実は昭和や平成も違った形の「切り抜き」が持て囃されていました。それは汗と涙、結果至上主義の切り抜きです。日本人が好きな努力と根性で挫折を乗り越えるストーリー、ステイタスを感じるような学歴年収(高身長も?)などの結果をアピールすること。ある意味判りやすい切り抜きだけれど極々一部に限られるものです。
人間の尺度は切り抜き次第・・・それはいつの世にも変わらないものだけれど、それが多様になっていると感じています。以前は「こうでなければ!」と構えていたものが「人それぞれだものね」にシフトしつつある。勿論何事も変化変容するものですが、そのスパンがドンドン早まっているような気がしてなりません。「切り抜き」にしても頑張って造り込むタイプもいれば「好きなところ勝手に切り抜いてよ」というタイプも登場する。自分の趣味に合わない「切り抜き」を責める炎上も今後変容するかもしれません。
10年後・・・面白い世界に変容しているのでは?
私自身そんな切り抜きを密かに抱き楽しみにしていますから
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/
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