星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

自分を縛る「ねば・べき」からの離脱

        

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1416回目のブログとなりました(^^♪

 

自分の未来を考える時、望むことや優先順位は人それぞれ、絶対的な正解はありません。仕事?家庭?趣味に生きたい?全部手に入れたい欲張りな人だっている。

 

自分の望む目的地に向かって何の迷いもなくショートカットで邁進できるならばこんな幸せなことはありません。でもね・・・人生は往々にして紆余曲折、迷ったりとち狂ったり色々ある訳です。自然の流れから最短コースに乗ることは正直難しいと思うのです。

 

どんな目的地であれ・・・人生を柔軟にしなやかに生きるには、自分を縛る「ねば・べき」を振り落とす必要があるということ。通過儀礼として「ねば・べき」からの離脱は必須です。

 

***

 

人生の転換期と云うものは大抵痛い目をみるものですよね。そりゃ、嬉しい楽しいのエネルギーは軽やかで朗らかだけれど、人生を180度変容させるにはパワーが絶対的に足りません。地の底から這いあがるような、自分の枠をぶっ壊ような莫大なパワーは「怒り」「恨み」「悲しみ」・・・身悶えするほどの負の感情が手っ取り早い原動力となるものです。

 

手痛い経験をするから人生は変容するのか

人生を変容させるために手痛い経験が現実に起こるのか

 

私は後者の考え方を指示しています。

ある意味手痛い経験は人生において必要悪だと思うのです。

 

何故なら手痛い経験を通して、人は自分と真剣に向き合うから。自分を縛る「ねば・べき」と対峙する時は必ず「現状への不満や疑い」があるはずです。「ねば・べき」は他者に指摘されて離脱するものではありません。「こんな考え方もう沢山!」と自らがキレて初めて手放しできるもの。自分にとって不要なものと心底実感することでしか離脱は起こり得ません。

 

これはロケット打ち上げに似ています。

ロケットは打ち上げ時少しずつ切り離されて飛んでいくものです。燃料を使いつつ不要になった空の部分をどんどん離脱させて身軽になって飛んでいく。

 

「ねば・べき」もある意味過去の自分にとっては有益な燃料部分。でもそれを使い果たして飛び続けるには古い価値観は不要でしかない。しなやかに新しいステージに上がるには切り離すことは避けられないことだと思うのです。だって新しい世界で軽やかに飛ぶためには古いしがらみは負担でしかないから。

 

過去の私を護っていた「ねば・べき」はお疲れさん!という感謝を込めて離脱してもらいましょう。ニューバージョンの私には「ねば・べき」よりも「したい」が相応しいと思うから。

 

手痛い目を潜り抜け浮上してきた自分だから・・・「したい」という楽しみや喜びを堪能させてあげたい。

 

「ねば・べき」離脱の指令を出すことは自分自身だけだと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/