こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1609回目のブログとなりました。
子供の頃・・・親から先生から「誰にでも優しくしましょうね」と言われたものです。
でもね当時の私は天邪鬼だったのか心の中で思っていました。
誰にでもなんて無理でしょう・・・と。
物心つく頃から人間は好きと嫌いの区別を本能で感じ取ってきました。特別嫌なことをされなくても「何だか苦手」みたいにね。その直観は結構当たったりするものだし侮れません。だからこそ「誰にでも」というのは無理を強いるものだと思うのです。
何にでも、誰でも、何時でも・・・大切にしましょう。
その行きつく先は・・・本当に大切な人を蔑ろにする弊害がセットになるということです。
本当に大切な人や物にエネルギーを注げなくなる。時間も体力気力も有限なので「誰にでも」は土台無理な話です。それは人間関係だけではなく、時間の過ごし方やお金の使い方にも共通することです。
本当に大切な人を慈しみ、本当に欲しいものだけ購入し、時間の使い方を吟味する。特別なことをしなくても、それは自分が満たされる術だと思うのです。それを実践する人こそ余裕のある人生を生きて、結果的に他者を思いやることが可能になるのでしょう。
反対に「どうでもいい人」に良くも悪くもエネルギーを注ぎ時間を費やすならば、必ず大切な人からの信頼を失くすもの。当然離れていく人もいるでしょう。結局気づいた時には「どうでもいい人」「どうでもいいもの」しか残っていない。それは正直虚しいものですよね。
本当に大切なものだけで満たしたい・・・まるで理想郷のような話だけれど、実現は容易いものです。別に苦手なもの嫌いな物をバッサリ切る必要はなく、ただそれにエネルギーを奪われないことを意識すれば良いのですから。そして「自分にとっての大切なもの」をひたすら慈しむことだけ。自分の世界の優先順位を意図することです。
「どうでもいい」ならば放っておきましょう。流しておきましょう。
貴方の大切な時間を「どうでもいいこと」に費やすのは止めましょう。
開いたスぺースには取って置き大切なものを入れましょう。
自分を幸せにするのは誰でもない自分の意識次第なのですから・・・
今日も読んでくださってありがとうございます。それではまた(^^)/
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