星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

実年齢を見た瞬間人生のカウントダウンが始まる

     

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1195回目のブログとなりました。

 

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「時の流れを感じる」

 

そんなタイミングって誰でも経験あるのではないでしょうか。

久しぶりの同窓会でびっくりするくらい変わった友人を見た時、

年老いた両親の姿を見た時など、自分のことは脇に置いても他者の変化に見入ってしまうようなこと。勿論建築物なども時の流れを感じるものかもしれません。

 

万物は移ろうもの、人間もモノも永遠というものはありません。

 

最近自分の年齢を書類に記入することがありました。何も考えず自分の年齢を書いた瞬間何故だか凄く驚いたことを覚えています。

 

自分のこと、自分の年齢なのに驚いている。「もうこんな年齢になっちゃったのか」と。正直滑稽な話です。

 

自分の年齢に驚くこと・・・これは中年以降の話だけではありません。

20歳には20歳の、40歳には40歳の、その年齢に相応しい感慨にふけることでしょう。ただ個人的に思うことは、40歳以降になると魂年齢(感性年齢)がモノを言うということです。暦的に50歳であっても感性年齢が40歳であったなら、集まる人達もある意味(感性年齢では)同年代なのでしょう。会話のキャッチボールが出来る、価値観が似ているなど波動が合うことも大切です。つまり実年齢は見せかけの年齢で、日常生活は感性年齢で過ごしているようなものです。

 

私が驚いた自らの実年齢。驚くと同時に、あと何年元気で生きられるのかという自分への問いかけです。若い頃は勢いで、大人になれば周囲とのバランスで生きてきたような気がします。それは自分の意志というよりも、流されていたのが実際のところでしょう。流されていたとしても何の疑問も抱かなかった・・・時間は無限にあると何故だか思い込んでいたからです。

 

でも、実年齢を見せつけられると、「あと○○年かな・・・?」「それとも明日?」とリアルに人生のカウントダウン始めてしまうものです。

 

「もう無駄なことに自分の時間や体力を使わない」

時間も体力も有限なもの。それが疎かになればきっと気力さえも揺らいでしまうことでしょう。だから自分のエネルギーを無駄に奪われるような関係性とは距離を置きたいもの。そのことで非難されたとしても「もういいかな」と思うのです。ことなかれ主義八方美人の仮面は返納してしまいたい。「素の私」を好む人がいればそれで充分です。

 

時間は有限と身に染みたならば、もう無意識に過ごすことはもったいない。これから先、会いたい人に会い、行きたい所へ行く自由は私にとって不可欠なもの。それらを大切な人たちと共有しながら丁寧に過ごしていきたい。

 

自分の世界においては、誰もが一生現役だと思うのです。

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/