こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1571回目のブログとなりました。
依怙贔屓(えこひいき)という言葉、よい意味で使われないことが殆どですよね。
自分が気に入った相手にだけ味方すること・・・上司がそのタイプだったら相当辛いだろうなと思ってしまう( ;∀;)
でもね・・・自分への依怙贔屓はとても尊いと思うのです。
ところで、普段自分に対して愛情表現ってしていますか?
甘やかすのではなく、すべてを認め受け入れる・・・まるで推しに対するファンの想いに近いかもしれません。「どうか幸せでいて欲しい」そんな思いを込めた愛情表現。
そもそも真面目に生きている人ほど、自分に厳しく他人の目を気にするものです。
こんなこと考えちゃダメ
そんな怠けてばかりではダメ
ほーら、またやっちゃった・・・
友人だったらとても言えないような辛辣な嫌味やダメ出しをしているのではないでしょうか。
それでは、本当の自分は「本音」を表現することは出来ず卑屈になってしまうもの。
だって愛されている実感もないし、一番身近な自分自身は重箱の隅をつついてばかりだから。
本当の自分との関係が上手くいかない時・・・人生の迷子になるものです。
本当に欲しいものが分からない
何をしたいのか分からない・・・
人生の迷子から脱するには自分への依怙贔屓に尽きると思うのです。
怠けものの私、ズルい私、人を出し抜こうとする私だとしても「私は私」・・・依怙贔屓しない理由にはなりません。それに嘘っぽく褒める必要はありません。
ただ「そういう私もいたんだね。それも可愛いよ」と唯一の味方になることです。他者に対して公平さを意識していたとしても、自分に対しては依怙贔屓上等。どんな自分を出しても受け入れられる・・・そんな時、人間はとても強くなるものです。
自分への依怙贔屓は自己愛といえるでしょう。
そこが愛で満たされて溢れた時に、他者に惜しみなく与えることが可能になる。
忖度抜きの依怙贔屓は尊いと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/