こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1207回目のブログとなりました。
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停滞期(谷の時)というものは誰にでも訪れます。そもそも同じ分だけ好調期(山の時)がある訳ですが、本人の受け取り方次第で偏りがあると思い込んでしまう場合があります。良い波が来ているのに気づかなくてスルーしたり、ネガティブに過剰反応してしまったり・・・「私の人生どうせ○○だ」と決め込んでしまう。
それが起こる理由の一つに「期待」があると思うのです。
願望や目標は誰にでもあるでしょうが、そのルートを決めつけていたり、インパクト大のストーリーを期待し過ぎると想定外の小さな幸運を見落としてしまいがちになってしまいます。スルーしなくとも「思ってたのと違う!」と落胆してネガティブ認定してしまう。
期待は多くの場合裏切るものです。期待の塩梅が強ければ執着となり波動やエネルギーは湿って重たくなってしまうもの。そうなると本来の願望達成の前に執着や枯渇を含んだ現実がやって来るものです。
期待も過ぎれば毒となる・・・、出来れば願望や目標は設定してもその過程はお任せでも良いと思うのです。自分が出来ることを日々淡々とやっていく。願望達成の道のりは多くの場合長期戦になることが殆どでしょう。当然その過程では山の時も谷の時も存在するものです。その度に凹んだり凸だり翻弄されていたらブレてしまう。
「人生はミステリーツアー、変化を楽しもうぜ!」というタイプが逆境に強いということはご存じだと思います。この柔軟で強いメンタルは望んでも手に入る訳ではありません。本人の生まれながらの気質とか、強い自己信頼感を伴う経験をしてきたのか・・・。
私も「変化」には身構えてしまうタイプでした。変化にビビッて焦って行動し撃沈するの繰り返し"(-""-)" でもある時、「タイミングを待つ」という経験から、結果までのルートはどうでも良いかもという境地になったことがありました。その結果予想以上の条件で交渉成立。想定以上のものを願うならば、そこまでのルートは期待で縛らないことを学びました。
期待も想定もある意味今までの概念の上に在るもの、その枠のなかに収まる必要もありません。変化だらけで先が見えない時代に枠に固執することは、危ういと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/