こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1132回目のブログとなりました。
梅雨のスッキリしない日が続いていますね。
今回は「起こる出来事への解釈について」共有いたしましょう。
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生活の中で起こる出来事について
どう感じるのか、どう思うのか・・・それによって起こる出来事への解釈が変わります。
人間ですから、怒ったり寂しくなったり妬ましくなったり色々思う訳ですがそれがなくては人生面白くありません。感情の揺さぶりがなくては映画も小説もストーリー性のないドキュメントのようになってしまいます。
感情に翻弄されている方にとっては災難かもしれませんが・・・何処ぞの神様からのギフトなのかも。だからもっと単純に考えてもよいのでは・・・と思っています。
「あ、またやっちまった」くらいのノリで('◇')ゞ
ただとても真面目に心理学やスピ系の学びをしている人は、其処に意図を見つけようとします。私自身もそうでした。
「起こる出来事は必然」から始まり・・・
そこにブロックがあるから嫌な感情が沸き上がるとか、
自分に許していない事で好き勝手をする人達についムカついてしまうとか。
心のカラクリは(身に覚えのある人にとって)とても面白いものです。
今までの経験から答え合わせをして「あのことは、そうなんだ!」とガッテンするたびに快感を覚え・・・つい沼に嵌ってしまいがちになるものです。
真面目なだけにすべてを心の法則に当てはめることで、
まだブロックを外していないんだ。私はダメだ・・と自分を責めてしまうこともあり得ます。
特に「ブロックを外そう」というテーマが流行った頃、お金のブロック恋愛のブロック・・・ブロック探しに明け暮れた人も多いと思うのです。
でもね、それって土台無理な話。
人間はブロックがあって当たり前。それを真面目にとらえ過ぎて頑張っても、一生かけて終わるものではありません。
ただ、このパターンは繰り返したくない・・・そう思うこともある筈です。
そこにブロックを見つけるのではなく、「じゃあ、どうしたいんだろう」で良いのです。
起こる出来事を問題視し過ぎるあまり、問題を創ってしまうことの方が厄介です。
例えば、カーナビで道を間違えた場合ナビはすぐに修正の道を案内してくれます。その案内すらも間違えて進んでいると何回も何回も次の道を提示してくれる。それを「しつこい!」と怒ったり、真剣に落ち込む人はあまり見かけません。「あ、教えてくれてるサインだな」くらいのものでしょう。
起こる出来事に反応する時は、排除するべきブロックを教えてくれるのではなく「本当はどうしたい?」の問いかけに過ぎません。繰り返すパターンだって、意外にも本人が密かに望んでいることもあり得るのです。
それはあくまでも自己責任の範疇です。
ただ起こる出来事は問題とみなすと問題になる。すべてを問題として捉え、眉間に皺を寄せていては・・・修行のような人生になってしまうと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/