星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

真実を見たいならば蚊帳の外に出よう

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

連続投稿872日目の本日のブログです。

今日のテーマは、個人的な呟きですが新鮮な体感なので共有いたしますね(^^)

やや抽象的ですので悪しからず・・・

 

***

 

自宅のマンション。

5カ月間、大規模な修繕工事を行っていました。

 

工事の工程の第一段階。足場が組まれ、建物を覆うようにネットが張られます。ネットというよりも、昭和映画にでてくるような「蚊帳」にスッポリ覆われているような感じ。外の景色は蚊帳を通してみる事は出来るけれど、一枚のネットを介しての景色はどうにも鮮明ではない、雨が降っているのかいないのか分からない・・・正直戸惑っていました。ただ半月ほど経てば、その環境に慣れてしまったのか、工事の人の気配を感じてもそう驚かない。人間って環境に順応する動物なんだと改めて感じた次第です。

 

そして「今」・・・いよいよ足場が解体され蚊帳も外されました。

視界にネットや足場がない世界は久しぶり・・・今日はメチャクチャ秋晴れで、部屋から見える青空はスッキリハッキリ美しい! 目の前のクリアな世界がとても新鮮です。

 

「こんなに空って綺麗だった?」

空だけではなく、建物も行き交う車もリアルに感じられる。鮮明で全てが活き活きとしている。まるで別の世界に入り込んだかのように新鮮で、私は暫し目の前の景色を愉しんでいました。

 

この感じ何処かで・・・?

外の景色を眺めながら、ふと気づきました。

 

それは瞑想が終わって目を開けた時の視界のクリアな感じが、同じように感じるのです。瞑想が終わったあとの視界は鮮明でクリア。何処がどうではなく・・・全てが何故か美しく見えるのです。

 

5カ月前、蚊帳のようなフィルターを掛けられた瞬間、私は違和感を感じました。でもその違和感も直ぐに慣れ、それが当たり前になり不具合も感じなくなる。鮮明に観えなくても目が慣れてしまえば、次第にそれが当たり前になってしまう。

 

人間の意識だって同じかもしれない。思い込みや信念というフィルターを介して物事を見ていたら・・・「真実」は見えなくなってしまう。ネットが外されて景色がクリアになったように、不本意な思い込みや信念を外したならば・・・「私にとっての真実」はクリアに見えるのかもしれない。

 

鮮明に見えるのか否か・・・

きっとその落差は思う以上に大きいと思うのです。

 

真実を見たいならば・・・不本意なフィルターは外す事。

そのフィルターを外さなければ、私の見える世界は曖昧でぼやけている。

 

相変わらず抽象的で恐縮ですが・・・そう思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)